永遠を焦がれるままに。A writer;美城丈二Another face綾見由宇也
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木漏れ日
2011-11-18 Fri 18:11
 木漏れ日は嘘吐(つ)きではありませんよ
 何故なら貴方の胸に降り注ぐから
 嘘吐きではないと言えるのは
 貴方が真摯に生きているから
 木漏れ日は逃げ足が速くないですよ
 何故なら貴方の胸に降り注ぐから
 逃げ足が速くないと言えるのは
 貴方が頭(こうべ)を垂れたひとだから
 
 変わらない
 貴方の心に
 木漏れ日は
 降り注ぐのです
 変わらない
 貴方の想いに
 木漏れ日は
 降り注ぐのです

 惑うことや
 怖れること
 失う寂しさや
 見紛う戸惑い
 裏切りや
 価値観の違い

 木漏れ日に
 胸を貸す
 貴方に
 燦々と降り注ぐのです

 瞑想を終えて
 貴方が再び
 歩き出すとき
 木漏れ日は
 やがて
 貴方の
 一歩となって
 今度は貴方の背を
 押すことでしょう 
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別窓 | 或る、ささやかなる(呟きという名の)詩篇 | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
曇りひとつ無い青空なのに淡い(原発推進にかつて曖昧な答えしか出せなかった僕らに)
2011-05-15 Sun 07:54
曇りひとつ無い青空なのに淡い
僕らは果たしてそんな空を望んだだろうか?
創造の神はかつて確かに
曇りひとつ無い青空が
僕らに必要なのだと迫った
そうなのか?
曖昧に答えを返した僕らが居なかっただろうか?
世紀が変わり
やがて曇りひとつ無い青空が現れた
だが何かが違った
僕らが本当に望んだ何かとは明らかに違う
疑うだけで明確にしない
首を傾(かし)げるだけで呟かない
淡い空はそんな僕らの象徴?

創造の神は破壊と秩序を繰り返しながら
僕らを操ろうとする
そんな神に
僕らはかつて声高に必死の抵抗を試みただろうか?
その多くが曖昧に答えを返しただけだったのではないか?

いまこの青空を覆うのは目に見えない闇だ
僕らは突き抜ける青さを望んだのに
どこかで手をこまねいたのだ
僕らが招いた咎(とが)?
曇りひとつ無い青空なのに淡い
そんな光景が瞬く間に拡がってしまったようだ
別窓 | 或る、ささやかなる(呟きという名の)詩篇 | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
掌編稿『堕落DARAKU』
2011-02-06 Sun 22:25
 幼い頃に、大きな橋の上からよく落ちていく夢を見た。落ちていく瞬間に目覚め、恒に僕は脅威の声を発した。一陣の風の悪戯か、一気に駆け抜けようとしてけつまずいた勢いで橋げたを飛び超えてしまうのか、友達とふざけていて突かれた勢いで落とされるのか、とにかく僕にとって良からぬことが起こって落ちていくという次第だ。
 ところが、ある時期を境にそんな夢を一切見なくなった。見なくなったなと意識したあとからか、何故、落ちていく夢は見るくせに落ちてからあとの夢は見ないのだろうという、誠にいま鑑みれば素朴な疑問を抱いた記憶を思い出した。
 当時の僕はこう、答えを思案した。
 「落ちる瞬間に目覚めるからだ」
 そのことを、さも得意げか、姉貴に告げてみると姉貴はげらげらと嗤(わら)いだし、
 「ええっ? 凄く当たり前の答えね」
 と、相手にもしてもらえぬ有様だった。
 落ちる瞬間に目覚めるから良いのか、落ちてからでは遅いからか、そもそも、落ちる、この行為自体がいけないのか、いつのまにか僕のこの問いに対する疑念はすっかり霧消してしまった。何故なら、現実世界でその後の僕はいくつもの“大いなる転落”を繰り返したからだ。夢どころではなくなったと言うことだ。現実の世界で堕ちてからどう対応するか、なるほど、現実の世界で落ちる行為を繰り返したからもう夢には見ないのだなと気づいたのはまた随分、後の話しである。この世では夢であればどんなに良いであろうと思われる出来事が山ほどある。大いなる堕落を繰り返せばそういう繰言も呟かなくなる。落ちるとは全てを無にするという顛末だ。
別窓 | 美城丈二“あの頃を憂う、いくつかの掌編物語” | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
『東京』綾見由宇也
2010-06-19 Sat 21:20
   『東京』綾見由宇也

     序

 庭先で鶯(うぐいす)が鳴き誇っている。春、です。縁側で僕は何事かを憂えていた。高台の街路樹の満開の桜並木を潜(くぐ)った先、あのひとのうちはそこに在(あ)り、よくあのひとは木漏れ日の差しこむ軒で好きな唄を口ずさんでいたっけな。あの頃がふいに僕の眼(まなこ)に浮かび上がり、まるで幻影でもあるかのような錯覚を起させる。あのひとは何故にあんなに焦れていたのか?なのに僕の顔を見るたびにちいさく微笑んでくれましたっけ。



 あの頃、僕はあのひとにつまらぬ愚痴を相当、吐いたな。あのひとはそのたんびにじっと耳を傾けて、けれどこの僕を最後にはいつも認める発言をしてくれた。そんなあのひとも風の便りで、妻と別れ子と別れ、独りに戻ったのだと聞くともなしに聞いた。「僕で良かったら、また呑みましょう。」そうしてきっと、あのギターの調べと濁声(だみごえ)を。



 僕もいつの日にか、また再び、そう、謳うだろうか?あのひとがあの頃、あんなに焦れていたもの……世の中に対する義憤か?容易ならぬ恋沙汰か?さては自身の「いま」に対する辟易感か?あの頃よりも世情は更に悪くなっている?いやいや、僕はただあの頃を謳いたい、うん、囁(ささや)いてみたいだけなのさ。



 あのひとと、あの唄を。



     壱

 風鈴がちりりと奏(かな)でぬのちの夕暮れ時、ヒグラシが鳴いている。夏、です。

 僕はお風呂あがりで縁側に向かい、ひとり静かにビールを飲んでいる。寂しいもんです。なのに心は乾いており、ひどくこの風情が心地良く想えるのは何故だろう?

 と、そこへ幼馴染がやって来る。

 「ほれ……」

 縁側越しにつまみなどを包(くる)んだビニール袋を差し出すと、

 「よし、俺も付き合おう」

 傍(かたわ)らにどさりと座る。あぐらを組んで、ビールを俺にも寄こせという顔をする。まるで無遠慮、まるで粋。

 想えば僕の古くからの仲間たちはこんな奴ばかり。一番、快活そうで、実はもっとも、多分、繊細なのはこの僕だろう?……と僕は僕の中で舌を出す。

 

 いいもんです。友、というものは。

 横顔を見ただけで、ちゃんとそのときに都合の良い言葉を選んでかけてくる。かけられた張本人は彼方(かなた)を向いたきり、なにげなさげよと煙草を吹かしていたが、その目にはちょいと光ったものがあるらしい。

 ただふたりでビールを飲み乾(ほ)す。

 いまや、ヒグラシだけがふたりの流行歌という按配(あんばい)。



 そんな静寂の気配を大抵、破るのはやはり、あのひとだ。若い頃は大手のプロダクションに在籍していたこともある、いまや市井のギター弾き、Tさん。顎鬚(あごひげ)だけを携(たずさ)えてギター片手に濁声(だみごえ)を張る。ここでは橘(たちばな)さんとしておこう。彼はおかしなひとだ。いまやかつて愛しきひとと、その子を捨て、六年ぶりに再会した僕の古里をひどく気にいって、自身の古里を離れ、この町に住み着いてしまった。「どらどらどら、唄いに来たぞ」アコースティックギターともう傍(かたわ)らには芋焼酎。定番中の定番スタイルで登場です。



 順ちゃんも来た。嫁さんのかすみさんも連れ立って。「何か、作りましょう」優しい微笑と、その名の通りの佇まい。いいもんです。いいもんだ。



 誰も何(なん)にも言わなくなる。ただひたすら酒を煽(あお)る。ちびちびでいい。ただ、橘さんの唄い声だけが僕の心に靡(なび)いてくる。



 誰も僕に「どうして、そんなことに……」などと詮索(せんさく)などはしない。なのに、顔色だけを読んで「よし、今日は奴の家で酒盛りだ」なんだ、と連絡を取り合い、連立って歩んでくる。そんなこんなを想い描きながら、殊更(ことさら)に僕はこの胸の底でしみじみ、友とは良いもんだと深く、普段の僕の出不精ぶりを懺悔(ざんげ)してみたくなるというもの。



 夜も更けて来た。かすみさんが、ああっと呟いた。「あれっ、いま、流れ星……」

 こんな夜は天空も洒落(しゃれ)ている。

ならば、にやりと顎(あご)を揺らし、橘さんがそら、唄いだした。



 ちょいちょい、と泣けてきた。ぐぐっと胸に沁(し)みてきた。見上げる夜空に今夜だけは、たとえ流れ星が見えぬとも良いのですよ。



 彼女(あいつ)が求めたものを僕は求めてはいなかったということ。

 ただ、それだけなんだけどね……。



     弐(しばしここで、暗転)

 たなびく雲の切れ切れにススキの穂が影を成す。秋、です。そよ、と吹いた風に揺れる針葉樹、その枝葉の隙間さえ、そうと想えば我が子の在りし日を偲ばせる。あの子はここで眠っている。先年、亡くした実子の墓に参り、手を合わす。まだ幼かった。六歳、だった。病(やまい)に伏せ、息も絶え絶え、ゼーゼーと喉を嗄(か)らしており、見ているこちらの胸中が締め付けられるほどに痛々しかった。一体、生まれる前からそういう運命だったのか。嘆かざるをえぬ衝動を抑えられぬほど、病弱な女の子。僕は親として男として大人として、何もしてあげられなかった。翻って自身の脆弱さを悔やんだ。そんなことしか、想い、至れない。あれからもう、十四年。月日の移ろいは、たとえば、この手に乗せる落ち葉を容易く拾えるほど、安楽なものじゃあ無い。



 そうとも知れず、潮は吹く。

 ざぶんざぶんとここまで、匂い立つ。



 段を踏む。踏みしだく。線香の匂いが心地よく、僕に香る。独経が聞こえてくる。じっと四隅で正座して、耳を澄ましてみる。安らかに、あの子は眠っているだろうか?いまだに聞こえる。消え去らない。あの子の泣きじゃくる声。僕こそが、あの子を憂えてあげなければこの先も、こののちも僕に生きる証明(あかし)は無い。

 この先、まだまだひとり。僕は僕を返り見ない。

 

 お堂のお釈迦様が何か、呟きになられたのか?ふと、僕は気持ちを落ち着かせようと、鎮座したままみじろぎもしない。この古里(まち)の三時を知らせる鐘の音(ね)が聞こえてきた。だが、ざぶんざぶんと、僕のこころは掻き乱されて潮騒に溶け入ってしまい、これじゃあ、元の木阿弥と微苦笑。この日ぐらい、透明な想いのままでいたかったのに……。あの子のことだけを想っていたかったのに……。 



     参

 コートの襟(えり)が木枯らしに包(くる)まっている。冬、です。一室に駆け込むなり灯油が切れていることを知り、フンと唸ったのち、また外気を吸いに白雪の最中に走り込む。

 窓辺に蒸気が上がり、月の下弦を引きずって、やがて、何もかもが見えなくなれば、僕はこの部屋にまたひとりっきりだということを自(おの)ずと悟る。カラカラとストーブが音を成し、あらゆる不自然な、それ以外の濁音を遮断してしまえれば、もう僕は自分の世界に浸れる、(筈)。それが、僕のいまの生活というものです。生きれるだけ生きてみようと想い至り、死んでなるものかと容赦なく自身を叱咤(しった)してみる。



 ようやく、ここまできた。

 またふたりがいいと想い、

 また三人がいいと想い、

 ひとりに耐えかねて、

 せめてまたふたりで在りたいと

 想うあまりに、



 橘さんから電話をもらい、「今年の大晦日はおまえのうちで越す」というものだから、年越しそばを作っておいた。なのに、来る段になって既にどこかで「程好い気分」になったのか、そばなど食わぬ、と言う。まあ、いい。そういうひとだから。

 芋焼酎がやけに今夜は沁(し)みる。ぐいぐいと飲み干す。また起き掛けにそれまで横たえていた橘さんがひょっこりと座り直し、ギターを傍らに唄いだした。

 雪はしんしん積もってゆく。寝正月というわけにもいくまい。凧(たこ)揚げとカルタとビー玉遊び。メンコに雪合戦にヨーヨー。なんでもやったな、あんな正月はもう、どこにもないさ。



 唄えよ唄え。

東京のあの空を想いだしたじゃあないか?ごろんと高いびきの橘さんを背に、僕はまた一年、こうして歳を取る。



     終

 花萌(も)えて、また四十雀(しじゅうから)が鳴きそよぐ。春、です。僕は軒で食えない「ご本」を編んでいる。こうしていまだ昨年も一昨年(おととし)もこんな感じで時が巡る。

 今日は、風もどこ吹くそぶりで、僕の心根を締め付けやあしない。苦渋に満ちたあの頃は、煩瑣(はんさ)な日常にへどを吐きそうだったあの頃は、予期せぬことがこれでもかこれでもかと起こり、無碍(むげ)無残に打ち砕かれていまや、遠い遠いお話しの最中にあるようだ。こんな日がときにはあっても、良いですよねえ?人間は過去を詰(なじ)る生き物ですから。

                                      2007年度作再掲   
別窓 | 掌編稿『東京』 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
re-publication掌編稿『東京』綾見由宇也  
2010-06-02 Wed 21:20
   序
 庭先で鶯が鳴き誇っている。春、です。縁側で僕は何事かを憂えていた。高台の街路樹の満開の桜並木を潜った先、あのひとのうちはそこに在り、よくあのひとは木漏れ日の差しこむ軒で好きな唄を口ずさんでいたっけな。あの頃がふいに僕の眼(まなこ)に浮かび上がり、まるで幻影でもあるかのような錯覚を起させる。あのひとは何故にあんなに焦れていたのか?、なのに僕の顔を見るたびにちいさく微笑んでくれましたっけ。

 あの頃、僕はあのひとにつまらぬ愚痴を相当、吐いたな。あのひとはそのたんびにじっと耳を傾けて、けれどこの僕を最後にはいつも認める発言をしてくれた。そんなあのひとも風の便りで、妻と別れ子と別れ、独りに戻ったのだと聞くともなしに聞いた。「僕で良かったら、また呑みましょう。」そうしてきっと、あのギターの調べと濁声を。

 僕もいつの日にか、また再び、そう、謳うだろうか?あのひとがあの頃、あんなに焦れていたもの・・・・・世の中に対する義憤か?容易ならぬ恋沙汰か?さては自身の「いま」に対する辟易感か?、あの頃よりも世情は更に悪くなっている?、いやいや、僕はただあの頃を謳いたい、うん、囁(ささや)いてみたいだけなのさ。

 あのひとと、あの唄を。

   壱
 風鈴がちりりと奏(かな)でぬのちの夕暮れ時、ヒグラシが鳴いている。夏、です。
 僕はお風呂あがりで縁側に向かい、ひとり静かにビールを飲んでいる。寂しいもんです。なのに心は乾いており、ひどくこの風情が心地良く想えるのは何故だろう?
 と、そこへ幼馴染がやって来る。
 「ほれ・・・」
 縁側越しにつまみなどを包(くる)んだビニール袋を差し出すと、
 「よし、俺も付き合おう」
 傍らにどさりと座る。あぐらを組んで、ビールを俺にも寄こせという顔をする。まるで無遠慮、まるで粋。
 想えば僕の古くからの仲間たちはこんな奴ばかり。一番、快活そうで、実はもっとも、多分、繊細なのはこの僕だろう・・・?と僕は僕の中で舌を出す。
 
 いいもんです。友、というものは。
 横顔を見ただけで、ちゃんとそのときに都合の良い言葉を選んでかけてくる。かけられた張本人はかなたを向いたきり、なにげなさげよと煙草を吹かしていたが、その目にはちょいと光ったものがあるらしい。
 ただふたりでビールを飲み乾(ほ)す。
 いまや、ヒグラシだけがふたりの流行歌という按配(あんばい)。

 そんな静寂の気配を大抵、破るのはやはり、あのひとだ。若い頃は大手のプロダクションに在籍していたこともある、いまや市井のギター弾き、Tさん。顎鬚(あごひげ)だけを携(たずさ)えてギター片手に濁声(だみごえ)を張る。ここでは橘(たちばな)さんとしておこう。彼はおかしなひとだ。いまやかつて愛しきひとと、その子を捨て、六年ぶりに再会した僕の古里をひどく気にいって、自身の古里を離れ、この町に住み着いてしまった。「どらどらどら、唄いに来たぞ」アコースティックギターともう傍(かたわ)らには芋焼酎。定番中の定番スタイルで登場です。

 順ちゃんも来た。嫁さんのかすみさんも連れ立って。「何か、作りましょう」優しい微笑と、その名の通りの佇まい。いいもんです。いいもんだ。

 誰も何にも言わなくなる。ただひたすら酒を煽(あお)る。ただ、橘さんの唄い声だけが僕の心に靡(なび)いてくる。

 誰も僕に「どうして、そんなことに・・・」などと詮索(せんさく)などはしない。なのに、顔色だけを読んで「よし、今日は奴の家で酒盛りだ」なんだ、と連絡を取り合い、連立って歩んでくる。そんなこんなを想い感じながら、殊更(ことさら)に僕はこの胸の底でしみじみ、友とは良いもんだと深く、普段の僕の出不精ぶりを懺悔(ざんげ)してみたくなる。

 夜も更けて来た。かすみさんが、ああっと呟いた。「あれっ、いま、流れ星・・・」
ならば、にやりと顎(あご)を揺らし、橘さんがそら、唄いだした。

 ちょいちょい、と泣けてきた。ぐぐっと胸に沁(し)みてきた。見上げる夜空に今夜だけは、たとえ流れ星が見えぬとも良いのですよ。

 彼女(あいつ)が求めたものはなんだったのか?僕が求めたものは一体、なんだったのか!?

   弐(しばしここで、暗転)
 たなびく雲の切れ切れにススキの穂が影を成す。秋、です。そよ、と吹いた風に揺れる針葉樹、その枝葉の隙間さえ、そうと想えば我が子の在りし日を偲ばせる。あの子はここで眠っている。先年、亡くした実子の墓に参り、手を合わす。まだ幼かった。六歳、だった。病(やまい)に伏せ、息も絶え絶え、ゼーゼーと喉を嗄(か)らしており、見ているこちらの胸中が締め付けられるほどに痛々しかった。一体、生まれる前からそういう運命だったのか。嘆かざるをえぬ衝動を抑えられぬほど、病弱な女の子。僕は親として男として大人として、何もしてあげられなかった。翻って自身の脆弱さを悔やんだ。そんなことしか、想い、至れない。あれからもう、十四年。月日の移ろいは、たとえば、この手に乗せる落ち葉を容易く拾えるほど、安楽なものじゃあ無い。

 そうとも知れず、潮は吹く。
 ざぶんざぶんとここまで、匂い立つ。

 段を踏む。踏みしだく。線香の匂いが心地よく、僕に香る。独経が聞こえてくる。じっと四隅で正座して、耳を澄ましてみる。安らかに、あの子は眠っているだろうか?いまだに聞こえる。消え去らない。あの子の泣きじゃくる声。僕こそが、あの子を憂えてあげなければこの先も、こののちも僕に生きる証明(あかし)は無い。
 この先、まだまだひとり。僕は僕を返り見ない。

 お堂のお釈迦様が何か、呟きになられたのか?ふと、僕は気持ちを落ち着かせようと、鎮座したままみじろぎもしない。この古里(まち)の三時を知らせる鐘の音(ね)が聞こえてきた。だが、ざぶんざぶんと、僕のこころは掻き乱されて、潮騒に溶け入ってしまい、これじゃあ、元の木阿弥と微苦笑。この日ぐらい、透明な想いのままでいたかったのに・・・。  


   参
 コートの襟(えり)が木枯らしに包(くる)まっている。冬、です。一室に駆け込むなり、灯油が切れていることを知り、フンと唸ったのち、また外気を吸いに白雪の最中に走り込む。
 窓辺に蒸気が上がり、月の下弦を引きずって、やがて、何もかもが見えなくなれば、僕はこの部屋にまたひとりっきりだということをおのずと悟る。カラカラとストーブが音を成し、あらゆる不自然な、それ以外の濁音を遮断してしまえれば、もう僕は自分の世界に浸れる、(筈)。それが、僕のいまの生活というものです。生きれるだけ生きてみようと想い至り、死んでなるものかと容赦なく自身を叱咤してみる。

 ようやく、ここまできた。

 橘さんから電話をもらい、「今年の大晦日はおまえのうちで越す」というものだから、年越しそばを作っておいた。なのに、来る段になって既にどこかで「程好い気分」になったのか、そばなど食わぬ、という。まあ、いい。そういうひとだから。
 芋焼酎がやけに今夜は沁みる。ぐいぐいと飲み干す。また起き掛けにと伸びていた橘さんがひょっこりと座り直し、ギターを傍らに唄いだした。
 雪はしんしん積もっている。寝正月というわけにもいくまい。凧揚げとカルタとビー玉遊び。メンコに雪合戦にヨーヨー。なんでもやった、あの正月はもう、来ない。

 唄えと唄え。東京のあの空を想いだすじゃあないか!?ごろんと高いびきの橘さんを背に、僕はまた一年、歳をとる。

   終
 花萌えて、また四十雀(しじゅうから)が鳴きそよぐ。春、です。僕は軒で食えない「ご本」を編んでいる。こうしていまだ昨年も一昨年(おととし)もこんな感じで時が巡る。
 今日は、風もどこ吹くそぶりで、僕の心根を締め付けない。苦渋に満ちたあの頃は、煩瑣な日常にへどを吐きそうだったあの頃は、予期せぬことがこれでもかこれでもかと起こり、無碍(むげ)無残に打ち砕かれていたあの頃はいまや、遠い遠いお話しの最中。こんな日がときにはあっても、良いですよねえ!?人間は過去を詰(なじ)る生き物ですから。 
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【A re-publication】掌編稿『揺れている、影。』綾見由宇也
2009-07-25 Sat 21:16
 
 揺れていた影、そのこころだけが揺れている。
 
 新宿の駅構内の、それはよく利用していた西口の明大前へと通じる、確か京王新線の乗降口。入ったばかりのその付近で、まるでそこだけ他と隔離しているかのような、まるでその佇まいばかりが他者を圧しているかのような、一切の断りを押し返しかねない、独特の空間を有した一組のカップルを、かつて目撃したことがある。何が凄まじいかってその一組のカップル、じっと見つめあったきり、ぴたりと動かないのです。ひっきりなしにその合間を縫うように乗降客が通り過ぎていく、というのに彼と彼女はけっして微動だにしない。ふたりの距離はほどなく離れているが、そうと察してふたりを見やるときっとこのふたり、いまが今生の別れともいうべき恋人同士と想えなくも無い。僕には、そうとしか想えなかった。何故、そうとしか想えなかったのか。そのあまりに悲しみに暮れた顔。お互いが異様なほど醸し出している、いわば妖気みたいなもの。密閉の空間にギュッと詰め込んだかのような、それら空気に僕こそ、圧倒されたから。僕は田舎者なので、ついじっとふたりを見比べてしまって、この僕をも佇んでしまった。彼、彼女らはきっとそれでも動かない。次第に彼らをまったく意に返さずその横を素通りしていく一群がその誰しもが、ふたりを一瞥(べつ)することもなくその傍らを何事も無いかのように通り過ぎていく、そのさまがまるで映画か何かの一シーンを切り取っているかのように感じられて、僕はその後、この情景を随分長い間、忘れられずにいた。
 何だったのだろう。あの一組の若いカップル。どう見ても十代だった。ふと生活の一狭間(はざま)、僕はその強烈な空間が想い出され、独り、感慨に耽った。僕にはとてもその場面が、そのふたりにとって喜ばしい瞬間とは感じられず、勘考を起こさずにはいられなかったのだ。あれから、また時は過ぎた。僕には周りの人々をまったく拒絶しているかのような、そんな一組のカップルの紡ぎだす空気、あれ以上のものをその後見せられた記憶は、無い。僕はその情景に吸い寄せられたのだ。いやいやいや、僕はあの頃、僕自身こそ多感な十代だった。だからこそ、そう、としか想えなかっただけだろうか。ふたりには死相さえ、漂っていた。僕の当時の感性がそうと嗅ぎ取ってしまったのだ。僕にはもう、ふたりに意を決して踵(きびす)を返す、あのふたりの世界を振り切るしか術(すべ)はなかった。
別窓 | 美城丈二“あの頃を憂う、いくつかの掌編物語” | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
『ソープの葵』物語稿3・綾見由宇也
2009-07-19 Sun 10:49
 僕は十代の後半くらいから、見てくれとは裏腹に自身でも可笑(おか)しいと思えるほどのお酒飲みだった。ひとり、夜半に飲み始め陽の光を浴びることもよくあった。アルコール系というやつはなんでも呷(あお)り、不思議に酔ったという感覚が沸かない。いや、普通に酔っていたはずだ。何故なら夢見心地に気分が恒に高揚していたのだから。
 中学は三年の頃、受験勉強に厭(あ)きてしまったのか?、父親が飲むウイスキーを盗み飲みして以来、その味が忘れられなくなり、お小遣いを注(つ)ぎ込んでまで飲むようになった。やはりどこか意思の弱い部分がそう、させたのかも知れないといまでは想える。在京のひとになった頃はいっぱしのアル中と言って良かっただろう。とにかく酒が喉(のど)を通過すれば言いようの無いわだかまりだとか、苦痛に感じる出来事がいっときでも忘れられて、またその感覚を抱きたくて飲んでいるようなところがあった。のちに胃の腑(ふ)を焦がすという言葉を何かの本で知ったのだけれど、実際、言いえて妙という言葉かも知れないと感じたものだ。胃の中に噴き溜まっているもやもや、それはやはりこの世の中、社会であったり、世間というか、そういう大きな存在、ひととひとが交わらねばならない対面社会にあって僕は10代特有のストレスを感じ、酒で身を焦がすことによってそういう煩雑なものから逃げ込んでしまいたかったのかも知れない。いっときでも何物かも忘れられる感覚。いまでこそ、そう、思えるという回想なのだけれど・・・・・・。
 また僕は音楽というものに強烈に惹かれるものを感じてもいた。やはりあの頃によく聴いていたのは邦楽ではなく洋楽で、それはただたんにかっこつけて聴いているのでは無く、メロディの節が自分に合っているように感じていたからだ。それと日本語が音に乗ると妙に耳障りにも感じてもっぱら洋楽ばかりを聴いていた。時代を遡(さかのぼ)って市販されている楽曲、レコードを探り当てたりするとなんとも言えない愉悦(ゆえつ)感を覚え、ひとりでにやついていたりした。古里を離れる際に車の免許を取得していたから、無料で配布されている今で言うところのミニコミ紙かなんかにハッとされる情報が載っていたりすると関東から山梨くんだりまで車を駆って買いに走ったこともあった。ファン同士での売買の交流にも積極的に応募して、ある程度の大金をはたくことも後悔は無かった。とにかくどこか今振り返れば衝動的で一度在る概念を抱いてしまうと、もう、そのことばかりが頭にこびりつき、我先にと行動に移さなければ気が済まないようなところもあった。なのに異性に関してはなかなか意思を表に現せなかった。そういう、かつての自分が本当にいらいらさせるというか、腹立たしささえ感じる。

 あおいとは屈託の無い、些細な日常で起こる出来事等は遠慮無く、語り合えるようになった。けれど、何か踏み込んでいけない目に見えない一線が横たわっているようで、ときに会話の節々でそういう想いを感じて嫌な気分に陥った。好きなミュージシャンのこと、何故、上京してきたのか?僕は恒に僕のことを語ろうとしており、あおいの内面にある、その一線の先にある事柄を聞きつけるにはほど遠い状況だった。
 あおいとひとつ小部屋の中にあっても、僕は僕だけが知っている僕のことばかり、語り尽くそうとしたんじゃないか?聞いてほしいと言うよりもよほど語ってはいない静寂という空間が怖かったのかも?来る週も来る週も僕はあおいのひとりの客人として日々を費やしていた。

 そんな或る日のことだ。
 いつものようにソープ『楽園』のロビーへと階段を踏み越え、いつも通りにあおいを指名したが、あおいは不在であり、いままでそんなことが一度も無かったので怪訝(けげん)に想った。あおいからは10円玉付きの名刺を渡されたおり、その名刺の裏にあおいの2週間分のタイムスケジュールが○×で記されていたから、前もって日時と時間を予約しておけば逢えないということは無かったのに。
 携帯電話なんて無い時代。公衆電話で事前予約をしていたにも関わらず、あおいが不在。
 「あれっ!?予約を入れといたけど・・・」
 頻繁(ひんぱん)に変るバイトの店員のひとりだったろう、僕はそう、聞き返してみた。
 「あおいさんは先週からお休みみたいです」
 スケジュール表を開きながら、その青年はそう、言葉を選ぶように言った。
 「・・・・・・・・・」
 さりげなさげに僕は相槌(あいづち)を打ち、踵(きびす)を返したが、いままでに無い状況に少なからず動転していた。行けばいつでも逢える、あおい。僕の心根がその動転を自身で悟ったとき、(酒でも飲もうか?)あれほど好きな酒の味が二の次になっていたことを強く感じ取った。あおいのことで僕は占領されていたのかと、まざまざと感じた瞬間でもあった。
 ふと、不吉な予感に囚(とら)われた。
 そうしてその予感は当たっていた。
 あおいからその一週間後ぐらいだっただろう、あるメッセージが届いたのだ。

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『ソープの葵』物語稿2・綾見由宇也
2009-06-28 Sun 17:58
 夕暮れて陽が高層ビルへと落ちた頃、僕は駆け込むようにあおいのもとへと急ぐようになった。今では死語だろう、“光化学スモッグ”のせいで青白く見える月明かり。深夜でも僕の行き先はどうしたことか?あおいの元へと向かわせた。何かの予感があったはず。だが僕にはその暗い予感がなんであったのか?はっきりとは未だに答えられない。あおいには僕を包み込む何かが備わっていた。あおいの肌に触れるたびに僕は安らぎを感じて果てていた。そうとしか言いようがない。
 
 あおいの肌は血管が浮き出て透けるほどなめらかだった。
 僕はお尻から太股(ふともも)へと執拗に舐(な)め回した。
 舌で触れることにより、相手への嗅覚が忘れられなくなる。僕のエッチに対する、それが習癖。
 くすくすと笑い、身体をよじりのけぞるあおい。
 左太股に性感帯のひとつがあるらしく、特にそこを嘗め上げると身体を大きくよじった。
 そのときのあおいの媚声(びせい)。目尻にたたえた微苦笑がたまらなく僕を興奮させた。
 押さえつければ押さえつけるほど、ほどよい感じで膨れている乳房の隆起もよじれ、その悩ましい肢体がまた僕の欲情を殊更にかき立たせた。

 「あおい?、おまえ、なんで、こんなところで働いてるんだ?」
 無碍(むげ)で野暮、いま思えばあおいへの想いが高まるにつれ、僕はそんな問いかけを呟くようになっていた。
 「よくある質問やね……なんでやろ?」
 あおいは嫌がるそぶりも見せず、そう、返した。額に手を当てて考えるそぶりを見せる。
 「仕方が無いんよ。こうでもしなきゃやってけんもんね」
 何故、やってけんの?
 あの時、僕は後ろ背を見せたあおいに、それ以上の詮索をしようという気までは起こらなかった。
 いや、拒んでいたのだ。
 その、後ろ背が。
 いまだからこそ、そう、思えるが当時の僕にはそんな気遣いなど知る由(よし)も無かったかも?。
 けれど僕の中にはそういう場所で働く女なのだという、蔑(さげす)みが確かにあったはずなのだ。なのにだからといってまたそういう想いが僕を留めたのではけっして無い、と思える。
 違う何かを僕はあおいに感じていた?
 違ったのだ。僕の知る、ソープのあおいというイメージから反(そ)れている女としての美しさ。

 ただ、あの頃の僕らにはまだ、あおいが時折り見せた後ろ背をぎゅっと抱きしめてあげられるほどの関係とはいかず、また振り返って助けを求めるような信頼関係なんてものもなかった。
 僕は無神経で柔(やわ)な男だったが、それ以上に踏み込んでいくほどの裁量を持ち合わせてはいなかったということなんだろう。

 けれど、僕のあおいへの想いは独り寝の夜を焦がすほどにじりじりと息苦しさを増幅させていった。
 ソープの女だと認識していても、まるでそれは姿身(かたち)だけから入っていった恋、とは言い難い衝動が僕を夜毎(よごと)、襲ってくるかのようだった。

 してはいけない、恋なのだろうか!?
 募ってはならない、恋なのだろうか!?
 いつ頃からか、僕はよくそう、想うようになりあおいの夢を見はじめた。
 けっして良い、目覚めの軽い夢では無かった。
 彼女にとっては僕は一客人にしか過ぎないのだから。
 意識がそこに落ち着く度に、僕は僕に自制のこころを植えつけようとした。
 僕はどこにでもいる、普通の常識に囚われた若者でしか無かった。寒さでかじかんでいるにも関わらず、見てくれが悪いからとその着こなしにそぐわないマフラーを纏(まと)うことを拒む青年のように。僕は平凡で、さも有りがちな青年で在(あ)り過ぎた。特別であれ!!と希求し、古里を後にし、けれど僕はただ、一心不乱にものを書き募るひとりの人間にしか過ぎなかった。
 閉ざされていた。まだ、何もかも。
 僕にはあおいを包み込んであげられるだけの素養すら無いのだと、そんなことまで考えるようになっていった。
 自分の身の程をわきまえていた。あおいに踏み込んでいくことに臆病になっていたというよりもそこに行き着く過程で既に僕は臆病になっていたのかも知れない。億劫という壁をこしらえていたのかも知れない。
 僕には僕なりの殻を持ち、そこから這い出そうとしない、ある種の怖さがあった。
 焦れていた。まだ、何もかもに。そう、何ものかに。
 当時の僕は、そんな「弱さを意味無くけ嫌う」いっぱしの偽善者気取りの青年だった。
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落書きの無いそら
2009-05-28 Thu 16:37
 この空を見上げていたら
 誰ひとりだって
 落書きなんか
 出来ないじゃないか

 俯いて
 ばっかりだったひとは
 澄み渡る蒼(あお)空に
 こころは要らないだろう

 煙草のけむりさえ
 蒼くなる
 いつだって
 そらは
 そうであったはずだろうに

 遠くで黙々と駆けていく
 ランニング姿の
 男のひとの後ろ背
 視界が遮(さえぎ)られ
 見えなくなる前に
 僕たちは答えを見つけねば
 ならないのか

 いまは
 せめて
 そういう僕たちとは
 おさらばしたいね

 落書きの無いそら
 何も結末が
 わからないそら

 何物にも
 委(ゆだ)ねていない
 落書きの無いそら

 僕たちは
 かつての僕たちに
 手招きされているんだろう?
 
 

 
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『ソープの葵』物語稿1・綾見由宇也
2009-05-01 Fri 16:31
 【再稿2007・5から】

 僕にだって翳(かざ)してくる昨日がある。
 その昨日は迷いっぱなしで遂に僕を果てさせた。
 迷いのもとは、かつての彼女、過去という代物(しろもの)。誰しもに忘れ難い、追憶のとき。僕は二十代前半。あれからもう十何年も経ってしまった。
 衒(てら)わず、いまなら僕なりに語れることもあるんじゃないか?。
 とある場所で彼女と出逢い、同棲し、籍まで入れた。なのに事はその二十代前半で終わってしまったのだ。いまでは僕も老けて、四十を目前の妻もおり子もいる、普通のサラリーマンだ。
 田舎町から、「映画監督」みたいなものに一心、成りたくて東京という都会に僕は憧憬というものを携えてやって来た。何かに一心腐乱に焦がれるあまり、恒にどこか、この背を押されているかのような衝動があった。その衝動を振り切れぬまま、もがいてもがいたその先に彼女が居た。あの頃の僕ならきっとそうとは考えつかないだろうけど・・・・・・。
 東横線沿いの映像学院、僕はその専門学校を卒業したあと、さる映像委託業者の会社へと就職した。「脚本企画部」といえば聞こえは良いだろうけど、言わば文字通りの委託されたTV、映画等、そのシノプシス、筋をひたすら書き連ねていくだけの仕事。自分でも口惜しいほどに粗筋(あらすじ)だけに没頭する毎日だった。自分で本編を実際に書けるほどの才覚も技量もコネも無かったような・・・・・・。とにかくものを書くという行為だけに、一日中、浸り付けに浸って朝焼けが立ち上る最中、自宅への道を転がるように帰っていく、そんなどこかの親父がよたよたとよろめきながら徘徊しているかのような、どうしようもない毎日の繰り返しだった。

 そんな折りだ。同僚のみーくんが、彼は名を巳広(みひろ)と言い、「おい、書くばかりが能じゃないぜ。たまには生き抜きをしようぜ。」とばかりに持ちかけて、僕らふたりは誰彼に恥じることもなく、当時、池袋の北口付近、百五十m歩んだ先、みーくん懇意の「ソ-プ楽園」のドアを引いた。そこで、僕がご指名したのが「あおい」そう、この物語のもうひとりの主人公で、僕のかつての追憶のひと、設楽葵(したらあおい)、彼女だった。

 「なんだよ。おまえ、本名もあおいって言うの。ちょっとそれ、まずいんじゃないの?」
 「なんで?、私、この名前、気にいっとるんよ。そやさかい、ここでも使っとるんよ。」
 「ふーん。そんなもんか。あんまり、そういうことに拘らないんだね。」
 「拘りなんてない。だって私は私やもん。」

 だって私は私やもん・・・・・・
 彼女の口癖でもあったその呟きの際の媚(こび)を売るかのような笑みが、未だにありありと記憶の端に残っている。怖ろしいほどに美しい女の子だった。そして出逢った頃は怖いお兄さんと同居していた。怪しい商売ばかりに手を染める習癖、そんなお兄さんのことも、僕があおいにやすやすとまたがるようになってから知ったことだけれど、

 何故、僕は、あのあおいに恋をしたのか?
 かなりその後、修羅みたいなものも覗いてしまった。
 なのにあおいに飽くまでも拘(こだわ)ってしまったのは何故なのだろう?。当時、ちっとも独り身のやるせなさなんてものは感じなかったし、毎日毎夜、やることは他にいっぱい、あったはずなのに。僕の脳裏にいま思えばずっと潜んでいた、きっと離れずじまいであったあおい。あの感覚は一体、どこから湧き上がった想いだったのだろう?

 あおいはよく言っていた。
 「寂しいねん。寂し過ぎやわ。なんか、自分でもおかしいくらいに寂しくなるときがあるんよ。けどね、そんな私をそんなときでもね、この私がどこか遠くから見ているねん。そのことに自分で気づいたんよ。あるときな、そう、気づいたんよ。そんな時、そんな時な、ほんまに私、気が狂いそうになるんよ。」
 なんでやねん、なんやねんって、私。
 そんな自分を見つめる私に歯止めかけよう思うんやけど、あかんねん。
 あの憂い、整った横顔にかけてあげられるだけの言葉を、当時の僕は持ち合わせてはいなかった。

 この物語は、随分、古臭い頃の物語です。ひとによっては目も覆いたくなるようなシ-ンも出てくるはずです。それにほんのちょっぴりエッチでもあります。けれど、僕はいまこそ、あのあおいとのことを書かねばならないと想いついたのです。何故だか知れず、僕の気持ちがそう、させるのです。ひとりよがりでも良い。慰めてあげる、いまはもう気遣いも要らない。なのに僕は、僕と彼女とのあの頃をここに記しておきたいといつの頃からか思いついたのです。いつかは死ぬまでに書かねばならないと思っていたはず。けれど、もしかしたら明日の自分はもう、違っているかも知れない。今だからこそ、書けることもあるはずだと僕は感じて。ここに全てを晒(さら)してしまいたい。そう、あの頃の僕しか知らないあおいが存在していたのだと信じて。
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掌編稿『東京』The first part 綾見由宇也
2009-05-01 Fri 16:17
  序
 庭先で鶯が鳴き誇っている。春、です。縁側で僕は何事かを憂えていた。高台の街路樹の満開の桜並木を潜った先、あのひとのうちはそこに在り、よくあのひとは木漏れ日の差しこむ軒で好きな唄を唄っていたっけな。あの頃がふいに僕のまなこに浮かび上がり、まるで幻影でもあるかのような錯覚を起させる。あのひとは何故にあんなに焦れていたのか?、なのに僕の顔を見るたびにちいさく微笑んでくれましたっけ。

 あの頃、僕はあのひとにつまらぬ愚痴を相当、吐いたな。あのひとはそのたんびにじっと耳を傾けて、けれどこの僕を最後にはいつも認める発言をしてくれた。そんなあのひとも風の便りで、妻と別れ子と別れ、独りに戻ったのだと聞くともなしに聞いた。「僕で良かったら、また呑みましょう。」そうしてきっと、あのギターの調べと濁声を。

 僕もいつの日にか、また再び、そう、謳うだろうか?あのひとがあの頃、あんなに焦れていたもの・・・・・世の中に対する義憤か?容易ならぬ恋沙汰か?さては自身の「いま」に対する辟易感か?、あの頃よりも世情は更に悪くなっている?、いやいや、僕はただあの頃を謳いたいだけなのさ。

 あのひとと、あの唄を。

  壱
 風鈴がちりりと奏(かな)でぬのちの夕暮れ時、ヒグラシが鳴いている。夏、です。
 僕はお風呂あがりで縁側に向かい、ひとり静かにビールを飲んでいる。寂しいもんです。なのに心は乾いており、ひどくこの風情が心地良く想えるのは何故だろう?
 と、そこへ幼馴染がやって来る。
 「ほれ・・・」
 縁側越しにつまみなどを包(くる)んだビニール袋を差し出すと、
 「よし、俺も付き合おう」
 傍らにどさりと座る。あぐらを組んで、ビールを俺にも寄こせという顔をする。まるで無遠慮、まるで粋。
 想えば僕の古くからの仲間たちはこんな奴ばかり。一番、快活そうで、実はもっとも、多分、繊細なのはこの僕だろう・・・?と僕は僕の中で舌を出す。
 
 いいもんです。友、というものは。
 横顔を見ただけで、ちゃんとそのときに都合の良い言葉を選んでかけてくる。かけられた張本人はかなたを向いたきり、なにげなさげよと煙草を吹かしていたが、その目にはちょいと光ったものがあるらしい。
 ただふたりでビールを飲み乾(ほ)す。
 いまや、ヒグラシだけがふたりの流行歌という按配(あんばい)。

 そんな静寂の気配を大抵、破るのはやはり、あのひとだ。若い頃は大手のプロダクションに在籍していたこともある、いまや市井のギター弾き、Tさん。顎鬚(あごひげ)だけを携(たずさ)えてギター片手に濁声(だみごえ)を張る。ここでは橘(たちばな)さんとしておこう。彼はおかしなひとだ。いまやかつて愛しきひとと、その子を捨て、六年ぶりに再会した僕の古里をひどく気にいって、自身の古里を離れ、この町に住み着いてしまった。「どらどらどら、唄いに来たぞ」アコースティックギターともう傍(かたわ)らには芋焼酎。定番中の定番スタイルで登場です。

 順ちゃんも来た。嫁さんのかすみさんも連れ立って。「何か、作りましょう」優しい微笑と、その名の通りの佇まい。いいもんです。いいもんだ。

 誰も何にも言わなくなる。ただひたすら酒を煽(あお)る。ただ、橘さんの唄い声だけが僕の心に靡(なび)いてくる。

 誰も僕に「どうして、そんなことに・・・」などと詮索(せんさく)などはしない。なのに、顔色だけを読んで「よし、今日は奴の家で酒盛りだ」なんだ、と連絡を取り合い、連立って歩んでくる。そんなこんなを想い感じながら、殊更(ことさら)に僕はこの胸の底でしみじみ、友とは良いもんだと深く、普段の僕の出不精ぶりを懺悔(ざんげ)してみたくなる。

 夜も更けて来た。かすみさんが、ああっと呟いた。「あれっ、いま、流れ星・・・」
ならば、にやりと顎(あご)を揺らし、橘さんがそら、唄いだした。

 ちょいちょい、と泣けてきた。ぐぐっと胸に沁(し)みてきた。見上げる夜空に今夜だけは、たとえ流れ星が見えぬとも良いのですよ。

 彼女(あいつ)が求めたものはなんだったのか?僕が求めたものは一体、なんだったのか!?
別窓 | 掌編稿『東京』 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
滲みる。
2008-12-29 Mon 01:36
 この世の中、どうも湿っぽい。何か、暗く陰鬱とかそういった感覚ではなく、どろどろとしているというか、くちの底にへばりついてきそうな、いかにも眉をしかめたくなるほどの苦々しさ、湿っぽさという感じです。一体、いつからこんな湿っぽさになったのか?僕には判然と解釈する能力は無い。
 まぁ、易々とは詩文に浸れない。そう、僕はいつもこうして物書きの世界へと逃げ込んできた。遂に安っぽく下世話を織り込んだ詩文ばかりにやつれてはおりますが、いまの僕をそれらはいつだって暗示しており、返す返す振り返った先の僕を見るようで、いや苦笑苦笑、
 「僕らしくもないや」
 と振り返るたび思う僕も居る。

 様々な感銘を日々に僕は僕の文句を言葉として発している。
 届くはずもなく、この世の中はいまにも地面が溶けて朽ちてしまいそうなほど、どろどろと湿っぽく、僕の心に滲(し)みてくる。
 「僕が僕じゃあ無いような・・・・・・」
 僕は懸命に、そんな思いを飲み込んで歩んでいるのだ。

 本年のご愛読に心より深謝致します。お一方お一方、幸多からん明ける年でありますよう。
                             美城丈二
別窓 | 物言う、僕。いまを生きる。 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
掌編稿『火の河』
2008-12-06 Sat 10:46
 遠くで何かが燃えている。あれは火の河、という奴です。年に一度、その年の人々の辛苦を労う。ひと生きるうえで背負った業、煩悩、それらをいわば見えざる神を尊いつつ、いま生きている自身に感謝し、来る年の無病息災を願い、持ち寄ったお札(ふだ)を燃やす、その都市(まち)、年の瀬の儀式です。
 我が古里でもおんなじような儀式、儀礼はあるのですが、夕闇に唯、紅々と映えており、子供の頃は見向きもしなかった。なのに、友人のM君が交通事故で死んだ年の瀬には、そこへその都市へお札を手向けに行きたくなった。数少ない友人のひとり。音楽ライターで良い文章(もの)を編む、男だった。その実家へも霊前に手向けてください、と花を贈ったら丁重なお礼の電話をもらい、その先でその母は泣いていた。あくる年もあくる年もその命日が来るが、彼のことだけは忘れられない。
 いい男であった。自身に嘘をつかぬ男でいつもこの世を憂えていた。「誰にでもそんな時期はあるものさ」とひとは口々にさらりと言うが、易々とそう、片付けられるほどの生き方を彼はしていなかったと想う。難病患者の母を抱え、彼はいたって献身的にその母の介護をこなしていた。その息子の死後、その母は特別介護施設に預けられたと聞いたが、僕はその行く末を知らない。一度、その母のもと、彼の生家に見舞ったらその時、「あなたを見ると息子が想い出される」と泣かれてしまい、往生したことがあり、それっきりになってしまった。命日から三年目の節目の折り、また花を贈ったら宛先不明で帰ってきた。
 ふとあの母の泪を想い出す度、その早すぎた息子の死を、あまりにもむごいと悼む。
 いつの頃からか、その儀式は火の河祭と名づけられて、いまに至っている。その都市出身のある作家がそう、名づけたと言われているが真偽のほどは解らない。僕もいつか、その火の河を渡る。その時まであと何年か、何十年か、それは僕には無論知れないことだが、僕は彼の分までしっかとこの世を憂えてのち、その河を渡っていこうと想う。
 「よお!待たせたな」彼はそのとき、こう、切り返すだろうか?。
 「まだ来るには修行が足らねえぞ。」
 いつかのように、いや、いつものように彼はそう、言って僕をまたからかうことだろうか?
別窓 | 美城丈二“あの頃を憂う、いくつかの掌編物語” | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
わたしは翳っていない時を知りたい
2008-10-09 Thu 02:14
 あの月はどうも雲に翳って
 情景としては良くない
 だからわたしは翳っていない
 日差しを待っているのか
 いや日差しというよりも
 あの雲に翳っていない
 時を待っている
 花弁に添う
 ミツバチが群れ集うさまは
 うっとうしいが
 集わずにはいられない習性は
 邪険には出来ないものだろう
 月は
 雲に翳って
 辺りを一層暗くしている
 ならばわたしはと
 日差しが射してくることを待つひと
 だけには
 なりたくない
 いつだってそうなのだ
 わたしは翳っていない時を信じて
 歩んでいる
 その方が無口だとか
 おしゃべりだとか
 泣き虫だとか
 強気よねぇ
 などと言われる
 天邪鬼のわたしには
 相応しい物差しだろう
 地中に泥が被っているなら
 取り除いてみなければ
 秋虫が鳴いているなら
 聞き澄ましてみなければ
 おほらに花が一輪挿してあるならば
 ふと立ち止まって
 眺めてみなければ
 缶蹴りは缶を
 見つけてくることから
 始まるのが道理
 わたしはわたしの知らないわたしに
 いつだって
 実は巡り合いたいと心密かに
 思っているはずだ
 夕闇はいい
 いや
 夕月はいい
 だがそこに浸ってばかりじゃ
 情けない
 
 
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石橋の上には名札が落ちている
2008-06-23 Mon 11:00
 石橋の上には
 石橋の上には名札が落ちている
 僕はそれを拾って石橋を渡ってしまわねばならない
 引き返す事だって出来るのだ
 だがたとえ
 おずおずと
 脅えながらも渡りきってしまわねばならない
 くどいようだが
 ただ渡りきるだけでは駄目なのだ
 名札を拾ってから渡りきらねばならない
 渡りきったら「ああ渡ってよかった」と
 思うことだろう
 引き返すわけにはいかない
 僕はあの「ここからだって見える」名札を拾って
 きっと渡りきってしまわねばならない
 おずおずしながら
 そういう自分が名札を拾って
 渡りきることこそ肝要なのだから
 そんなに難しいことではない
 僕はもう若くはないのだから
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28の肖像『蛙、陽だまり』
2008-04-23 Wed 00:11
 いとこの末っ子、なつきちゃんが面白い単語を並べてくれました。
 「蛙、
  石ころ、
  お遊戯、
  傘立て、
  焼き芋、
  陽だまり、
  沢蟹、
  銀杏」
 どれもこれも、その、眼にしたものは、同じくいとこの長男、晋太郎君が呼び名として教えたものです。
 「霜柱、
  綿雨、
  アケビ、
  灯篭、
  霧氷、
  雨どい、
  星屑、
  三日月、
  さくらんぼ」
 どれもこれも、彼、彼女らが一年に一度っきりやって来る、この古里に在るものばかりなのです。
 「麦わら帽子、
  紅とんぼ、
  みんみん蝉、
  きつつき、三光鳥に、ウグイス、大フクロウ、
  蝮、いたちに、山狸、
  夜祭、
  八重桜、
  睡蓮花、
  山野草」
 なつきちゃんは、僕に聞いてきました。
 「ねえ、なんでひとは憎しみあうの?」
 エエッ!?と僕は返答に窮したものです。そのあまりの幼顔に似合わぬお尋ねごと。
 「・・・・・・ひとにはひとそれぞれに守らなければならないものがあるからだよ」
 この霧、奥深い里に、多分、存在しないものは無いのです。でも僕は思いましたね。
 僕にはもうすでに思い出せないものもあるのではないかと?いつのまにか、歳を取り、
 僕も忘れる癖を身につけてしまった?
 いま、僕に出来ることといったら、屈託の無い笑顔に微笑んでお小遣いをあげることくらい。
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千の夜‐ある夏の日の朝
2008-03-07 Fri 07:43
 2007・8 筆記
 僕に忍んでくる悲しみよ、お願いだ、今こそ僕は、その千の夜を越えたいんだ。僕は僕を憂う。僕はもう、そんな僕に果ててしまった。僕は幼い頃から、空を見やるのが好きだった。いくつもの夜を越え、僕は満天の星屑を憎んだこともあった。月が翳る、そんな吹きすさぶ早暁、祈りを捧げたこともあった。けど、けど、いまこそ、僕にこの大いなる空よ、僕のそんな千の夜を癒しておくれ。僕が求めてやまなかったもの。「そこを飛び越えろ!!」と千の夜は嗤う。まだまだ迷ってもいいさ。だけどさ、もう、悲しみなんて、僕の中で朽ちてしまった。悲しいことばかりで、迷いたくはないんだよ、ほんとさ。「悲劇のヒロイン気取り」。嗤うがいいさ。僕は拭うなら、いまこそ暖かい泪を拭いたい。お願いだ。どうか、今こそ僕に、千の夜を越える運(さだ)めを与えたまえ。
  

  千の夜は、僕の夢をめちゃくちゃにしてしまった
  千の夜は、僕の愛を粉々にしてしまった
  うたた寝のとき、千の夜は
  僕に狂おしい夜明けを与えてしまった
  
 僕は、もう「ごめんだよ」とうなだれる。どうか、今こそ僕に、千の夜を越える力を授けたまえ。

 2008・2 筆記
 或る日の真夏日夜半、僕はそれを編んだ。
 それは僕にしか編めない代物だなどという、不遜な思いこそ立ち消えて陽の眩い頃になり、ようやく澄んだ優しい心根にゆっくりと支配されていく感覚が僕の中で宿ってきた。確かに未だ焦れているという惑いは、或いはこのどこかで感じられるが、軽い、飢えの渇きを癒されたかのような、一盛りの清涼水を飲んだあとのような舌触り、心触りを僕は深く、この底で抱きつつ察したようだ。
 これで佳い、のである。誰だって崇高なる他者にはなれないから自分流儀でこれはこれで佳いやと思う。
 ペテン師は遂にペテン師から脱却し得ず、歳を重ねていくのだ。それもまた僕らしい何十篇と重ねてきた、繰り言のひとつなのさ。
 
 千の夜、
 僕はまた遂にそんな想いに
 至る破目と成った。
 微かに満足している自分を知る。
 愛するものが打ちのめされており
 僕はいまこそ助けに歩を進めねば。

 どうか、見えざる神よ。
 僕は更に一段、この千の夜を越えて行きたいのだ。
 脅えさせてくれるなよ。
 あのひとが慾するものを
 僕はいま既に携えていることだろう?
 行く、行かなければ。
 そうするしか、僕には
 残された結論は存しない。

 逃げ道を作ればまた元の目闇だ。
 北風吹きすさむ日々の憂いがある前に
 ことを天邪鬼化する秋の空が大口を開けて待っている。

 僕よ、飲み込まれる前に行け!!なのさ。
 答えはとうとう知れず、かも知れぬ。
 それでも前のめりになってでも
 背を振り返らぬ自分が必要なのだ。

 僕は僕を窺い知る。
 僕はいまこそ行かねばならない。
 
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さよなら、僕の「甘い蜜月」
2008-03-06 Thu 21:30
  ★まっくさん、有難う!!「 無理解という理解:美城×まっく=?」


 2006・7筆者・覚書
 ひとは、なぜ、生きているんだ、僕はなぜ、生きていかなくちゃならないんだ、とばかり想いつめていた時期があった。ひどく空虚な「暗い青春時代」の想い出です。だが、傍らの彼女は、いつもシニカルに嗤っていた。「しようがないじゃん、いまはそういうことに耐える時期ってことじゃん」「耐える?・・・簡単に、そう、言うなよ!!」

 喧嘩ばかりの毎日で、僕は恒にどこか飄然としている彼女を、多分、いま想えばきっと恨んでいた。「お金持ちのお嬢さんだからな・・・、奴にはこの苦悩は見えまい」僕は、そう、本気で考えていた(はずだ)。

 周囲の噂話にもひどく敏感で、そういった見えぬ気配に、直ぐ騒然となり、実際、酒の席で警察ざたになる、殴りあいも演じてしまい、そのたんびに彼女は、けらけらと笑いながら「また、お迎えにきましたあ」と暢気な舌を出し、僕の身元保証の立会人に進んで立候補しようとする。その余裕がとにかく厭で厭で仕方が無かった。

 「もう、いい加減、俺みたいな奴ほっといて誰かほかにいい奴、探せよ?」あの頃の、僕のそれが口癖・・・?

 「いいひと・・・?、あんたの言う、そのいいひとの定義がわからない。いいひとって何よ?、どんなひとがいいひとなの・・・?」
 「知るか、んなもん。自分で考えろよ。・・・もっとおまえにふさわしい相手だよ!!」
 「わたしにふさわしい相手・・・?、そうね、格好が良くて大金持ちで溢れるような情熱と夢を携えたひと」
 「ふん!!寝言、言ってらあ」
 「寝言なんかじゃないわよ。女は大抵、そう、想ってるわよ」
 「あっそう、じゃあ、そういう男を捜せよ」
 「いや、今だって居るのよ。言い募ってくる男ぐらい、何人だって居るわよ」
 「だったらよ、そっち、行けよ。俺なんかに関わるよりよお、そっち、行けばいいじゃん」
 「ほんとにそっち、行ってもいいのね。そっち、行くわよ」
 「どうぞご随意に!!、そっち、行け行け行け行けえ!!」
 阿呆らしい、そんなこんなの遣り取り、果ては罵り合い。

 だが、僕はどんな文句を並べられても彼女を殴った記憶が、無い。(・・・殴られたことはあるが・・・笑)と言うのも、僕の中にはやはり女は「守るべき存在」という意識があって、これは何も僕が古臭い部類の男だというわけではなく、自身の実父が生前よく酒に酔った勢いで実母を殴り、うずくまっていた光景が、当時、そして今日まで忘れられぬ想い出としていまだにこの奥底はっきりと記憶されているからに違いない。僕はいまや実父の面影を追っているけれど、幼い頃から成人するまでやはり何かと優しい母が心底好きだった。

 そんな昔かたぎの、耐え忍んで男に尽くす母の面影からなのか、どんなに現代女性は以前と歴然と違うと頭の中では認識していても、やはりいざ彼女にうんざりするほど詰られてもけなされても、どうしても彼女に手を挙げることなんて出来はしなかった。

 当時の彼女には僕の実母には無い、実があった。それは僕の言動、行動、書いた物、その全ての生産活動に及んで、僕を批判、非難するという、意識、発言、徹底的糾弾(笑)。実母にはけっしてそれらが無かった。僕は、母が愛しいほどに好きであり、亡くなった際は遂に滂沱の泪を流してしまうほどだったけれど、彼女には母とは違う、まったく相反した異質な感覚を感じていた。たからこそ四年近くも持ったのかもしれず、男と女というものは、ほんに先がわからないものだなあと、なにか大きな価値観で、さもとらえてしまいたくなるほどの衝動さえ感じてしまう(笑)。

 彼女にはほんとうにお世話になった。(僕が、世話した記憶はまず考えられない)。その後、彼女は僕の関係していた、さる劇団のいわばオーナーの座を退き海外に移住した。その後の消息は不明だ。

 僕を面と向かって批判する。そんな女性にこの頃、ようやく巡り会ったのですけれど、それまでの十数余年、あれほどまでに轟然と非難してくる異性に巡り会ったことは一度も無かった。僕がただたんに大人びてしまったのかも知れないけれど、それだけに、懐かしい、いま、会いたい一群のひとりですね。さてさて、この記事もなんと糾弾いたしますやら?(笑)。それにしても懐かしき香りを放つ、時代ですね、僕にとっては。あの時期もまた、僕なりの溜め息交じりの青春譜の一齣です。

別窓 | 物言う、僕。いまを生きる。 | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
千の夜‐ある夏の日の朝 追文
2008-02-01 Fri 23:56
 或る日の真夏日夜半、僕はそれを編んだ。
 それは僕にしか編めない代物だなどという、不遜な思いこそ立ち消えて陽の眩い頃になり、ようやく澄んだ優しい心根にゆっくりと支配されていく感覚が僕の中で宿ってきた。確かに未だ焦れているという惑いは、或いはこのどこかで感じられるが、軽い、飢えの渇きを癒されたかのような、一盛りの清涼水を飲んだあとのような舌触り、心触りを僕は深く、この底で抱きつつ察したようだ。
 これで佳い、のである。誰だって崇高なる他者にはなれないから自分流儀でこれはこれで佳いやと思う。
 ペテン師は遂にペテン師から脱却し得ず、歳を重ねていくのだ。それもまた僕らしい何十篇と重ねてきた、繰り言のひとつなのさ。
 
 千の夜、
 僕はまた遂にそんな想いに
 至る破目と成った。
 微かに満足している自分を知る。
 愛するものが打ちのめされており
 僕はいまこそ助けに歩を進めねば。

 どうか、見えざる神よ。
 僕は更に一段、この千の夜を越えて行きたいのだ。
 脅えさせてくれるなよ。
 あのひとが慾するものを
 僕はいま既に携えていることだろう?
 行く、行かなければ。
 そうするしか、僕には
 残された結論は存しない。

 逃げ道を作ればまた元の目闇だ。
 北風吹きすさむ日々の憂いがある前に
 ことを天邪鬼化する秋の空が大口を開けて待っている。

 僕よ、飲み込まれる前に行け!!なのさ。
 答えはとうとう知れず、かも知れぬ。
 それでも前のめりになってでも
 背を振り返らぬ自分が必要なのだ。

 僕は僕を窺い知る。
 僕はいまこそ行かねばならない。
 
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こころ、添う。
2007-12-13 Thu 18:54
 なごやかに年の瀬が近づいている。またひとつ歳を取るのだなという感慨よりもより黄泉の国へと近づいてゆくのだなという朧な不安がいまの自分を確かに支配している。妖しいものを書かず今年はよくよく私らしいべたなものが書けた。これでは駄目。もっとはちゃめちゃな装いのものを書かねば。ほんにおいそが氏だった一年がぴたっと堰を切ったかのように終了し、いまやあと幾幾日。私だけの時間が保たれている。来年は更なる四方に向ってずんずん深化していくつもり。更に反吐が出てもういいよとほっと息が漏れるほどに書き込んでみたい。いくつものジャンルに壁が無いように私は横道に逸れたとしても前へ前へと行くつもりだ。何かは知れない。死するまで答えなど無いのだから。
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