永遠を焦がれるままに。A writer;美城丈二Another face綾見由宇也
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滲みる。
2008-12-29 Mon 01:36
 この世の中、どうも湿っぽい。何か、暗く陰鬱とかそういった感覚ではなく、どろどろとしているというか、くちの底にへばりついてきそうな、いかにも眉をしかめたくなるほどの苦々しさ、湿っぽさという感じです。一体、いつからこんな湿っぽさになったのか?僕には判然と解釈する能力は無い。
 まぁ、易々とは詩文に浸れない。そう、僕はいつもこうして物書きの世界へと逃げ込んできた。遂に安っぽく下世話を織り込んだ詩文ばかりにやつれてはおりますが、いまの僕をそれらはいつだって暗示しており、返す返す振り返った先の僕を見るようで、いや苦笑苦笑、
 「僕らしくもないや」
 と振り返るたび思う僕も居る。

 様々な感銘を日々に僕は僕の文句を言葉として発している。
 届くはずもなく、この世の中はいまにも地面が溶けて朽ちてしまいそうなほど、どろどろと湿っぽく、僕の心に滲(し)みてくる。
 「僕が僕じゃあ無いような・・・・・・」
 僕は懸命に、そんな思いを飲み込んで歩んでいるのだ。

 本年のご愛読に心より深謝致します。お一方お一方、幸多からん明ける年でありますよう。
                             美城丈二
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さよなら、僕の「甘い蜜月」
2008-03-06 Thu 21:30
  ★まっくさん、有難う!!「 無理解という理解:美城×まっく=?」


 2006・7筆者・覚書
 ひとは、なぜ、生きているんだ、僕はなぜ、生きていかなくちゃならないんだ、とばかり想いつめていた時期があった。ひどく空虚な「暗い青春時代」の想い出です。だが、傍らの彼女は、いつもシニカルに嗤っていた。「しようがないじゃん、いまはそういうことに耐える時期ってことじゃん」「耐える?・・・簡単に、そう、言うなよ!!」

 喧嘩ばかりの毎日で、僕は恒にどこか飄然としている彼女を、多分、いま想えばきっと恨んでいた。「お金持ちのお嬢さんだからな・・・、奴にはこの苦悩は見えまい」僕は、そう、本気で考えていた(はずだ)。

 周囲の噂話にもひどく敏感で、そういった見えぬ気配に、直ぐ騒然となり、実際、酒の席で警察ざたになる、殴りあいも演じてしまい、そのたんびに彼女は、けらけらと笑いながら「また、お迎えにきましたあ」と暢気な舌を出し、僕の身元保証の立会人に進んで立候補しようとする。その余裕がとにかく厭で厭で仕方が無かった。

 「もう、いい加減、俺みたいな奴ほっといて誰かほかにいい奴、探せよ?」あの頃の、僕のそれが口癖・・・?

 「いいひと・・・?、あんたの言う、そのいいひとの定義がわからない。いいひとって何よ?、どんなひとがいいひとなの・・・?」
 「知るか、んなもん。自分で考えろよ。・・・もっとおまえにふさわしい相手だよ!!」
 「わたしにふさわしい相手・・・?、そうね、格好が良くて大金持ちで溢れるような情熱と夢を携えたひと」
 「ふん!!寝言、言ってらあ」
 「寝言なんかじゃないわよ。女は大抵、そう、想ってるわよ」
 「あっそう、じゃあ、そういう男を捜せよ」
 「いや、今だって居るのよ。言い募ってくる男ぐらい、何人だって居るわよ」
 「だったらよ、そっち、行けよ。俺なんかに関わるよりよお、そっち、行けばいいじゃん」
 「ほんとにそっち、行ってもいいのね。そっち、行くわよ」
 「どうぞご随意に!!、そっち、行け行け行け行けえ!!」
 阿呆らしい、そんなこんなの遣り取り、果ては罵り合い。

 だが、僕はどんな文句を並べられても彼女を殴った記憶が、無い。(・・・殴られたことはあるが・・・笑)と言うのも、僕の中にはやはり女は「守るべき存在」という意識があって、これは何も僕が古臭い部類の男だというわけではなく、自身の実父が生前よく酒に酔った勢いで実母を殴り、うずくまっていた光景が、当時、そして今日まで忘れられぬ想い出としていまだにこの奥底はっきりと記憶されているからに違いない。僕はいまや実父の面影を追っているけれど、幼い頃から成人するまでやはり何かと優しい母が心底好きだった。

 そんな昔かたぎの、耐え忍んで男に尽くす母の面影からなのか、どんなに現代女性は以前と歴然と違うと頭の中では認識していても、やはりいざ彼女にうんざりするほど詰られてもけなされても、どうしても彼女に手を挙げることなんて出来はしなかった。

 当時の彼女には僕の実母には無い、実があった。それは僕の言動、行動、書いた物、その全ての生産活動に及んで、僕を批判、非難するという、意識、発言、徹底的糾弾(笑)。実母にはけっしてそれらが無かった。僕は、母が愛しいほどに好きであり、亡くなった際は遂に滂沱の泪を流してしまうほどだったけれど、彼女には母とは違う、まったく相反した異質な感覚を感じていた。たからこそ四年近くも持ったのかもしれず、男と女というものは、ほんに先がわからないものだなあと、なにか大きな価値観で、さもとらえてしまいたくなるほどの衝動さえ感じてしまう(笑)。

 彼女にはほんとうにお世話になった。(僕が、世話した記憶はまず考えられない)。その後、彼女は僕の関係していた、さる劇団のいわばオーナーの座を退き海外に移住した。その後の消息は不明だ。

 僕を面と向かって批判する。そんな女性にこの頃、ようやく巡り会ったのですけれど、それまでの十数余年、あれほどまでに轟然と非難してくる異性に巡り会ったことは一度も無かった。僕がただたんに大人びてしまったのかも知れないけれど、それだけに、懐かしい、いま、会いたい一群のひとりですね。さてさて、この記事もなんと糾弾いたしますやら?(笑)。それにしても懐かしき香りを放つ、時代ですね、僕にとっては。あの時期もまた、僕なりの溜め息交じりの青春譜の一齣です。

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哀しみばかりを語るんじゃないよ。
2006-12-19 Tue 21:13
 「哀しみばかりを語るんじゃないよ。苦しみばかりを語るんじゃないよ。愉しみばかりを書いたって誰も振り向きはしないものだよ。いいかい!?心で語りなさい。喜怒哀楽、ひとの心には誰しもに、その心なるものが根ざしている。あなたには、その心を見通せる技量が既に備わっておりますよ。ゆっくり、自身を見つめ直すことです。それが、あなたの明日を創るのですよ。いいですか?己を見つめてください」それが、僕が20代前半の頃に、さる、師から賜った言葉。 

 その師がお亡くなりになり、既に十数余年。還らぬひとと想いながらも、いまだにその師の夢をよく見てしまう。師はあまりにも著名であったが、僕なんかを捕まえてよく、謎かけをしてくれた。たとえれば、ふたり、街中を連れ立って歩んでいる。いきなり、あの青年、どう想う!?なんて呟かれる。「はい?」などと僕は返答に窮し、まごまごしていると、「人間を語るには、人間を観察するのが一番です。」とおっしゃられた。せっせと書いたものを括っては先生の居所へ行き、ご評価を賜る。ご自宅にお電話すると、大抵、奥様が出られ、「今日はどこどこに・・・」とお教えくださり、その地が都内某所なら、僕はかの地へと飛んで行く。その繰り返しの時期が三年ばかり、続いた。小説執筆、その間に僕は、映画館と酒場と女の子に夢中な、どこにでもいる青年だった。

 苦しかった。でも恒にどこか誇らしげであったのではと想う。僕は偉大な師を独占、している。いまでは誠、美しき日々。時が巡り、「輝いていたな・・・」などと僕もいっぱしにさもてらいなく、あの頃を振り返る歳になった。つい、先達て、かの師の夢を見た。師は夢の中で、僕にこう、言っていた。「いまは、苦しくてもきっとまた、輝いていたなと想えるときがまいりますよ。」あまりにも示唆的で僕は、夢から覚め驚愕していた。

 師の身体は没しても、その御霊はいまだ僕のなかにあるのだな、と僕は僕を慰めてみる。師の功績は、今更ながらに燦然と煌いている。僕は、その足元にも及ばない未完の作の山、山、山だ。だからこそ僕はこの歳になっても、かつての師を仰ぎ見る。その前に鎮座する想い。師は、僕にはとても優しかった。けれど書くものには手厳しかった。普段の師は、あんなにも慈愛の込められたお言葉を、僕に注いでくださられた。想い起こせばちょっと泪が溢れそうになる。師は、その書く物、書く物、人間のはかなさをこれでもかこれでもかとまるで迫り来る大鬼の如き筆致で、ものされていた。その姿勢は死する、その日までけっして妥協なさらぬもののように想えた。なのに普段はとても柔らかい微笑と暖かい言葉を選んでかけてこられる方、だった。

 僕もいつかは、
 そんな師とまた巡り合うことでしょう。
 師は「その日はまだですよ」と、
 夢の中でいまだ手招きをしてくださらない。
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夏眠
2006-12-19 Tue 17:19
 笑い噺みたいで恐縮なのですが、「夏眠(かみん)」という言葉をご存知でしょうか!?冬眠という言葉は、よく聞きますが、「夏眠」・・・?先達て中国の古書を紐解いておりましたら、そういう単語が出てまいりました。父の書庫、無論、翻訳書なのですが、かの地には古くから、この言葉が存在しており、まさに夏の暑い盛りを避け、ほこらみたいな場所で人知れず、うんと暑い時期を眠るがまま過すことを指して、そう言うのだそうです。転じて仮眠、そう、この言葉はここから来ているらしいのです・・・。

 東京の某所では、リラクゼーションの一環として、人間ひとりをすっぽり覆うかのようなカプセルの中に入り込んで、この暗闇の最中、「せせらぎ」だの「鳥のさえずり」などの音だけを流してもらい、まさに仮眠する行為がいっとき盛んに流行っているなどということを在京時代の後輩に聞いたことがございます。一時間、数千円。彼女は職場からの昼休み、ごはんも食べず、この行為をすでに半年ばかり、続けているなどということも聞きかじり、うーん、我が古里は、彼女なんかにしたら、かなりご満悦な空間だろうなと想い返し、「どう?、良かったら今度の連休あたり、試しにこっちに来てみたら?」と軽いのりで応えたら、彼女は乗り気になりまして、マジでこの地に参りました。ですが、どうやら、彼女、あまり勘考が湧かなかった様子。「どうして!?」と尋ねてみましたら、その頃まだ彼女、20代の前半だったのですが、「一から十まで、こんな感じだとなんか変にリラックスして、まるでおばあちゃんになった気分。却って気持ちが悪いような気がする」と、のたまわった。

 ひと、というものはやはり贅沢に出来ている?その言葉を聞いて、僕は想ったものでした。
 (そういえば、かのチェーホフは書いていたな。「女は恒に完璧な環境を求める。」)
 いや、そうではなく、「女は恒に完璧な男を求める」の隠語とも言うべき言葉なのですが、リラクゼーション、「夏眠」という言葉から僕はそんなこんなを連想してしまいました。皆さんは、どうでしょうか!?せせらぎの音や、ひぐらしの鳴き声ばかりのひがな一日、その空間に芯から浸れましょうかね!?刺激的なものからはまったくといってよいほど閉ざされておりますよ。
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かつての‘破廉恥’な恋人たちと未来の‘異業なる’詩人たちへ
2006-12-08 Fri 15:58
 好きでしようがなかった、からこそ結ばれなかったのだと想う過去さえ、呪わしいものは無い。この世情には、男と女、ふたつっきりだ。どんな感情流布、激しい人間でも崇高なる精神を宿す、高邁な一偉人でも、異性への感情、そのものを飛び越えようとせぬ限り、その世界は見出しえなかったはずだ。いまや、巷には、男と女の物語は溢れに溢れ、「もう、そういうものは・・・」とあえて、聞くともなしにはなっから拒絶する者も多いけれど、その底にはやはり、この世にひととして生を受けた者特有のジレンマが見え隠れしており、まったく痛々しき想いに囚われて、こちらは何も言えなくなる、なんて場面に遭遇したことさえ、かつて、ある。
 何故に、ひとは生きるのか!?ひと、それぞれにその命題は異なる。しかし、今更ながらに想うことのひとつとして、何人もこの性感情から、逸脱出来ないように、神はすでに生まれながらにして、ひとという生き物に、その遺伝子を組み込んでいる、という事実のみ。
 ひとえに好き、という感情は他者の、その何人も侵すことの出来ない、そのひと固有のもの、だろうから、この世情から、幾多の数限りない恋愛絵巻は、きっと未来永劫、終わらないことだろう。性犯罪も、その範疇、しかり。
 僕は、過去を憂うひと、である。そこに拘るものばかり書いてきた。そこから飛び越えようとして、頓挫し、またぞろいま、過去の物語ばかり、書き連ねている。苦しいものだ。苦しき限り。願わくば、この苦しみに見合うばかりのなにがしか、未来のご宣託を得たいものだ、などと想う心根こそ、厭わしいものはないだろうけれど、それにしても、僕はますます書き続けていくことであろう。僕は飽きることをしらない、ひとなのだ。この筆は、息、絶えるまで置かない。死ぬまで、神のその遺伝子やらというものにやんやと対峙して生きていきたい。僕も人の子。結局、女と男のことしか、書けません!!。
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文学青年、この「砕けぬ」先の古本屋街。
2006-08-08 Tue 22:30
 東京、神田、神保町。
 そこは僕のかつての「楽園」だった。
 僕は二十歳。なにものかにさえ「屈せぬぞ」と息巻く、青臭い田舎出の文学青年だった。
 どこか夢見がちで、けれどとことん、
 「書くもの」で自身を鼓舞したりけなしたりと、まあ、とにかく、自分でもいま、振り返って呆れるほど、「文学者然」を気取っている時期でもあったような気がする。

 僕は、自分に迷いが生じたり、勿論調べたいことがあったりすると、あの頃、間違いなく、神保町行きの地下鉄に乗っていた。
 着くなり、片っ端から、本屋をしらみつぶしに巡っていく。
 僕はああいった場所でも、どこか立ち読みが出来ぬ性質だったので、いつもその帰りは、古本をやまのように抱えて文字通り、「ふうふう」言いながら、帰路に着いたものだった。

 当時の彼女からは、「そのうち、古本で身動き出来なくなるよ」とよく笑われたものだけど、あの頃が最も僕がどんよくに、何かを吸収したいと想っていた時期でもあったろうと想う。

 いまでも、あの町は変わらないと聞く。「次代の革命家と哲学者、冒険家と文人、詩人と、さて、ペテン師、偽善家と経済学者、医者に粋人、果ては世捨て人と立役者・・・」、様々な後続の世代が行き来する通り」でもあろう、神保町は、いまだに遠く古里にあっても色あせない、輝きを僕に与えてもくれる。


 あの頃、僕はひとにどこか剣呑であった。本の中に埋没、していた。けれど、それも疑いようの無い、まして、紛れも無い、僕だけの「青春譜。」
 どこか、放浪者然とも、していた。
 「出来るなら、この身、この町で消滅したい。」とも想い焦がれた時期にも重なっている。
 僕は、決まって凛としていた。僕のこの頭の中に思想がいっぱい詰まっていた頃のお話しです。
 
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孤独という名の通念‐小難しい理屈はともかくとして。
2006-07-22 Sat 20:08
 「孤独」というものを、僕はしょっちゅう感じる部類の人間だ。だからといって、「もはや、この生を絶とう」だとか、「生きていてもしょうがないじゃん」だとか、そういう意識化に自身を追い込む気は、いまや三十路陥落、四十路、この歳で毛頭、無い。「前向きに」僕なりに歩んでいるはずだし、一片、底に落ち込んでもなんとかかんとか這い上がってゆけるだけの意気はやはり、どこかに持ち合わせていると思う。

 だから、「孤独」という観念はいまや僕にしてみれば、りっぱに自身の想像力を高めるうえでの一心持ちに過ぎないのかもしれない。ひとりではあるが、このひとりという立場を上手く、いわば肥やしにして生きていかないとはなはだ精神衛生上も良くない、と言えるかも。

 僕という人間がどうしても必要とあらば、僕はその立場に僕自身を置くことも努めて忌み嫌わぬけれど、そういうことはまあ、どのみち、当分無いことだろうから、僕はまた毎日毎日、自分流儀で生きていけるわけです。

 現代における「癒し、癒され」論議。孤独とはつまり寂しいという想いにどこか似かよっていよう、とは想うけれど、実際の話し、孤独という言葉の響きには、何か、この「癒し、癒され」といった言葉の世界とはまた違うかのような重いテーマを背負わされているような気がしてならない。

 ひとは恒にどこか、わびしい生き物だろうとは思います。けれどそれをつとめて意識しだしたらとりとめが無い、とも思うわけです。

 「孤独」というものを、僕はしょっちゅう感じる部類の人間だ。と、意識化してしまうと、あら、不思議、見えてくるものがあったりして・・・・・・。

 「孤独」この想いの中では恒に、僕は「孤独」の中に入り込んでいる。他者が見えない。他人が見えない。自分そのものの立場しか考えていない。これじゃ駄目!!まずは、僕はこういったイメージの世界から脱出せねば・・・・ほんに先に進めないだろうと考えています。

 すこしづつですが、こんな感じで、そうしてそのうち連載物もはじめようかと思いますので、どうぞ今後共末永く宜しくお願い致します。 丈
 
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| 美城丈二@魂暴風;Soul storm*a dawn note |
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