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2008年07月24日 23:40

『ソープの葵』物語稿4・美城丈二

2007年05月11日 18:46

 あの頃、僕はよくひとに、「もう少し、顔をあげて歩きなさいよ」と指摘されるほど、無邪気な笑顔を作れずじまいだったのだろうか?
 まるで歌舞伎町だの、新宿南口だの、下北だの、高円寺だの、荻窪だの、行きつけの店先のネオンでさえも、素面(しらふ)なのにかすれて見えるときがあるほどに、何か、逼迫(ひっぱく)しているかのような、頑強なペンチでおもいっきりひねられ捻じ曲げられているかのような、胸の動悸と痛みを感じ立ち止まることもしばしばあるほどに、肉体的にも何がしかに追いすがられていたのかも知れなかった。
 同僚、みーくんの懇意の店は、数限りなく点在していた。だのに、だからこそか、よく誘われて彼の馴染みの場所に赴いても行った。そうであったからこそ、葵があの時、僕の眼前で突っ伏していたとしてもそれはおかしくもなんともない、ある些細な当然、眼前で起こっても奇遇などということもない出来事だったのだ。なのに当時の僕には、その事件目撃がまるで生まれついて運命(さだめ)られているかのような錯覚のもと眺めていたような、いまとなってはそういう気配に包まれていたという気がしてならない。僕はよほどの“運命論者”だったのであろう、否、ただの単細胞だとでも蔑ずまれよう、面持ちかな?
 「こんなこと、よう、あるさかい・・・」
 僕を認(したた)めた葵が、あの時、微苦笑まじりに吐き捨てた一言。確かに僕には、そんな呟きが漏れ聞こえた。続いて助け起こしたみーくんの、あの優しい問いかけ。
 「おまえも大変だな。やること、やってんじゃん。」
 「案外、お互い様かもしらんよ」
 何を指して、そうおどけ返してきたのか、健気(けなげ)などというものとはあまりにもほど遠い、葵のその事件に対する、言葉のご宣託。
 だが、お巡りさんに連れられていく葵の後ろ背を望む間際、一瞬、苦渋の表情を見せた葵の面持ちを察するとき、僕にはその気苦労がのちののちまで、あとを引いて仕方が無かった。記憶という名の一断片。あの時、僕は感じたのだ。葵という女が、その見てくれだけで判断するならば、多分、けっして口にしないだろう、この囁き。
 「なんで私はいつもこんな運命やねん」
 葵には、確かにそれまで僕が付き合ってきた女とはあきらかに違う、暗い影を感じてはいた。
 そののち、二月ばかりか、葵は行方知れずになってしまった。

『ソープの葵』物語稿3・美城丈二

2007年05月11日 18:29

 僕は十代の頃から、見てくれとは裏腹に自身でも可笑しいと想えるほどの酒飲みだった。アルコール系というやつはなんでも呷(あお)った。その日もまた、同僚のみーくんと、ぶらり新大久保の盛り場へと繰り出していった。僕の懇意の店。月灯りで足元も朧(おぼろ)な裏道り。安酒ではあったろうが、多少なりともいや大層に仕事の苦楽を共にする友との歓談、そのときもきっとまた悠々と愉しいひとときであったことだろう。
 と、突然、その店の暖簾(のれん)の先からうら若い女性らしい悲鳴が負ぶさってきた。何事か?とその事件を告げよう雄たけびに、店のほとんどの人々も野次馬よろしく外へと繰り出していく。
「またまたまたぁ!!大久保騒乱劇場と参りましたかね?」
 み−くんは冗談半分のおどけた台詞を吐きつつ、驚いたきりの僕をも促して野次馬をかき分けつつ店の外へと這(は)い出した。いつのまにか怒号と喧騒の渦、その最中だ。正気のさたとは想えないほどの罵声を浴びせる一群がひとつの輪になって、或る男を殴っていた。いや、殴り合っていたあとか?。
 「チェッ、なんだ、一方的ですか?」
 みーくんは、その一群にそんなありありと不遜(ふそん)じみた言葉を蔽(おお)い被せて・・・いや、そうじゃない?
 ひとりの、もろ、あちら風の若者が刃物を懐から取り出す。悲鳴をあげた女は路上にへたりこんでしまった。刺した。男が男を。もうひとりの男をもその男は刺した。
 「コラ!!ぼけなすが!!」
 「ザケンナッ!!」
 突っ伏した男に刃物を持った男が罵声を浴びせる。
 「攻守逆転。」
 みーくんがうすら嗤(わら)ってそう、言った。
 僕はその瞬間、うわっと女の子みたいな声を上げてしまった。突き刺したその音が、のちまるで自分の腹部を刺し貫いたが如く、それは奇妙に想えたほどリアルに僕の脳髄を刺激してしまい仕方が無かった記憶を呼び覚ます。まるでそれはその一帯をいっぺんに包んでしまうかのような、抉るかのような濁音。僕はのちのちまで夢でさえ見たその情景を恐る恐る遠巻きに見入っていた。怖さが先に立つと身動きさえ出来ないものらしい。だが、見知っていた。その店の暖簾を再び潜(くぐ)ったときから、僕はその女を見知っていた。悲鳴をあげた女、へたりこんだ女こそ、そう、あの設楽葵(したらあおい)、彼女だった、ということを。
 「あの女?だよね?」
 振り向いたみーくんも葵だと気づいた様子だった。再び三度(みたび)、男は男を抉(えぐ)った。警官なんてすぐには来なかった。呻(うめ)き声が掠(かす)れ、刺された男がぴくりともしなくなった時、ようやく騒ぎを聞きつけたはずのお巡りさんが足早に駆けてきた。騒乱の一群は既にその場に居なかった。
 「・・・おい?大丈夫か?」
 そう駆け寄り、葵に優しい声をかけたのは、僕ではなく同僚のみーくんだった。

『ソープの葵』物語稿2・美城丈二

2007年05月11日 18:28

 生木と違って枯れ草は、よく燃える。当時の葵の心境は多分、その若き美貌とは裏腹な枯れ草の胸中?、僕は僕で困ったことに葵に逢うなり一辺で火が付いたほどに、好みとはかくも神の配剤を呼ぶものか、と想えるほどの燃えよう、生まれついての運命(さだめ)かと想うほどの、ひとめぼれだった。
 更に困ったことに、その葵との遭遇の場所こそは、くどいけれど池袋の北口の百五十m先、みーくん懇意の「ソ−プ楽園」。ただ運命の出逢いとは傍が想うほどに意気?、衝動的?、驚愕?、鮮烈?、それこそ運命的だなどと呼べるほどのものではないらしい。あっさりとその時は訪れた。
 「葵?、おまえ、なんで、こんなところで働いてるんだ?」
 無碍で、野暮、葵への想いが高まるままに、僕はそんな問いかけを呟いてしまっていた。
 「・・・よくある質問やね」
 彼女は、ほくそ笑むで無し、優しい微笑を湛えて、その答えを濁した。
 「仕方が無いんよ。こうでもしなきゃやってけんもん」
 何故、やってけんの?
 あの時、僕は後ろ背を見せた葵に、それ以上の詮索を向けることが出来なかった。
 だが、僕の葵への想いは、独り寝の夜を焦がすほどに息苦しさを増幅させていった。まるでそれは姿身(かたち)だけから入っていった恋、とは言い難いほどに。
 してはいけない、恋なのか!?
 募ってはならない、恋なのか!?
 想えば、あの頃、僕はよく葵の夢を見た。
 けっして良い、目覚めの軽い夢では無かった。
 彼女にとっては僕は一客人、に過ぎなかった。
 意識がそこに落ち着く度に、僕は僕に自制のこころを植えつけようとする。
 僕は、どこにでもいる、普通の常識に囚われた若者でしか無かった。寒さでかじかんでいるにも関わらず、見てくれが悪いからと、その着こなしにそぐわないマフラーを纏(まと)うことを拒む青年のように。僕は平凡で、さも有り過ぎた。特別で有りたい、と希求し、古里を後にし、けれど僕はただ、腐乱にものを書き募るひと、でしか無かった。
 閉ざされていた。まだ、何もかも。
 僕には葵を包み込んであげられるだけの素養が無いのだ、とさえ、あの頃、想いこんでしまっていた。
 自分の身の程をわきまえていた。つまり、僕は、ある、それ以上に葵に踏み込んでいくことに臆病になっていたとさえ想える。
 僕には僕なりの殻を持ち、そこから這い出そうとせぬ、ある種の怖さがあった。
 焦れていた。まだ、何もかもに。そう、何ものかに。
 当時の僕は、そんな「弱さを意味無くけ嫌う」いっぱしの偽善者だった。

『ソープの葵』物語稿1・美城丈二

2007年05月11日 14:29

 僕にだって翳(かざ)してくる昨日がある。その昨日は迷いっぱなしで遂に僕を果てさせた。
 迷いのもとは、かつての彼女、過去という代物(しろもの)。誰しもに忘れ難い、追憶のとき。僕は二十代前半。あれからもう十何年が経ってしまった。
 衒(てら)わず、いまなら僕なりに語れることもあるんじゃないか?。
 とある場所で彼女と出逢い、同棲し、籍まで入れた。なのに事はその二十代前半で終わってしまった。いまでは僕も老けて、四十を目前の妻もおり、子もいる普通のサラリーマンだ。田舎町から、「映画監督」みたいなものに一心、成りたくて東京という都会に僕は憧憬というものを携えてやって来た。何かに腐乱に焦がれるあまり、恒にどこか、この背、押されるかのような衝動に駆られていたけれど、あの頃、僕の傍らには恒に、彼女が居た・・・。
 東横線沿いの映像学院、僕はその専門学校を退校したのち、さる映画委託業者の会社へと就職した。「脚本企画部」といえば聞こえは良いが、つまりは文字通り委託されたTV、映画等、そのシノプシス、筋をひたすら書き連ねていくだけの日々で、自分でも口惜しいほどにそれら原稿に踊らされる毎日だった。自分で本編を実際に書けるほどの才覚も技量もコネも無かった。とにかくものを書くという行為だけに、一日、浸り付けに浸って朝焼けが立ち上る最中、自宅への道を転がるように帰っていく、そんなどうしようもない日々の繰り返しだった。

 そんな折り、同僚のみーくんが、彼は名を巳広(みひろ)といった。「おい、書くばかりが能じゃない。たまには生き抜きしようや。」とばかりに持ちかけて、僕らふたりは誰彼に恥じることもなく、当時、池袋の北口付近、百五十m歩んだ先、みーくん懇意の「ソ−プ楽園」へと馳せ参じることになった。そこで、僕がご指名したのが「あおい」そう、この物語のもうひとりの主人公で、僕のかつての追憶の相手、設楽葵(したらあおい)、彼女だった。

 「なんだよ。おまえ、本名もあおいって言うの。ちょっとそれ、まずいんじゃないの?」
 「なんで?、私、この名前、気にいっとるんよ。そやさかい、ここでも使っとるんよ。」
 「ふーん。そんなもんか。あんまり、そういうことに拘らねえんだな。」
 「拘りなんてない。だって私は私、やもん。」

 だって私は私、やもん・・・
 彼女の口癖でもあったその呟きの際の媚態が、未だにありありと記憶の端に残っている。怖ろしいほどに美しい女だった。そして出逢った頃は怖いお兄さんと同居していた。怪しい商売ばかりに手を染める習癖、そんなお兄さんのことも、僕が葵に繁々とまたがるようになってから知ったことだけれど、

 何故、僕は、あの葵に片恋慕したのか?かなりその後、修羅みたいなものも見た。なのに葵に飽くまでも固執していったのは何故なんだろう?。当時、ちっとも独り身のやうせなさなんてものは感じなかったし、毎日毎夜、やることは他にいっぱい、あったはずなのに、僕の脳裏からいま振り返れば絶えずいっときも葵のことが離れずじまいだったときが長い間、続いた。あの感覚は一体、どこから湧き上がった想いなのだろう?

 葵はよく言っていた。「寂しいねん。寂し過ぎやわ。なんか、自分でもおかしいくらいに寂しくなるときがあるんよ。けどね、そんな私をそんなときでも、この私がどこか遠くから見ていることに気づいたんよ。あるときな、そう、気づいたんよ。そんな時、そんな時な、ほんまに私、気が狂いそうになるんよ。なんでやねん、なんやねんって、私。そんな自分を見つめる私に歯止めかけよう思うんやけど、あかんねん。」その憂い、装う横顔にかけてあげられるだけの言葉を、僕は当時、持ちあわせてはいなかった。

 この物語は、随分、古臭い頃の物語です。ひとによっては目も覆いたくなるようなシ−ンもきっと出てきます。それにほんのちょっぴりエッチでもあります。けれど、僕はいまこそ、あの葵とのことを書かねばならないと想いたったのです。何故だか知れず、僕のこころがそう、させるのです。ひとりよがりでも良い。僕は僕と彼女とのあの頃をここに描いてみたいのです。もしや明日の自分はあの頃を振り返らないかも知れず。だから今こそ、あの葵とのことをここに記そうと決めました。


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