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2008年09月06日 06:31

掌編稿『火の河』

2006年10月27日 09:00

 遠くで何かが燃えている。あれは火の河、という奴です。年に一度、その年の人々の労苦を労う。ひと生きるうえで背負った業、煩悩、それらをいわば見えざる神を尊いつつ、いま生きている自身に感謝し、来る年の無病息災を願い、持ち寄ったお札(ふだ)を燃やす、その都市(まち)、年の瀬の儀式です。
 我が古里でもおんなじような儀式、儀礼はあるのですが、夕闇に唯、紅々と映えており、子供の頃は見向きもしなかった。だのに、友人のM君が交通事故で死んだ年の瀬には、そこへその都市へお札を手向けに行きたくなった。数少ない友人のひとり。音楽ライターで良い文章(もの)を編む、男だった。その実家へも霊前に手向けてください、と花を贈ったら丁重なお礼の電話をもらい、その先でその母は泣いていた。あくる年もあくる年もその命日が来るが、彼のことだけは忘れられない。
 いい男であった。自身に嘘をつかぬ男でいつもこの世を憂えていた。「誰にでもそんな時期はあるものさ」とひとは口々にさらりと言うが、易々とそう、片付けられるほどの生き方を彼はしていなかったと想う。難病患者の母を抱え、彼はいたって献身的にその母の介護をこなしていた。その息子の死後、その母は特別介護施設に預けられたと聞いたが、僕はその行く末を知らない。一度、その母のもと、彼の生家に見舞ったらその時、「あなたを見ると息子が想い出される」と泣かれてしまい、往生したことがあり、それっきりになってしまった。命日から三年目の節目の折り、また花を贈ったら宛先不明で帰ってきた。
 ふとあの母の泪を想い出す度、その早すぎた息子の死を、あまりにもむごいと悼む。
 いつの頃からか、その儀式は火の河祭と名づけられて、いまに至っている。その都市出身のある作家がそう、名づけたと言われているが真偽のほどは解らない。僕もいつか、その火の河を渡る。その時まであと何年か、何十年か、それは僕には無論知れないことだが、僕は彼の分までしっかとこの世を憂えてのち、その河を渡っていこうと想う。
 「よお!待たせたな」彼はそのとき、こう、切り返すだろうか?。
 「まだ来るには修行が足らねえぞ。」

掌編稿『揺れている、影。』

2006年10月26日 22:53

 
 揺れていた影、そのこころだけが揺れている。
 
 新宿の駅構内の、それはよく利用していた西口の明大前へと通じる、確か京王新線の乗降口、入ったばかりのその付近で、まるでそこだけ他と隔離しているかのような、まるでその佇まいばかりが、他者を圧しているかのような、独特の空間を有した一組のカップルを、かつて目撃したことがある。何が凄まじいかってその一組のカップル、じっと見つめあったきり、ぴたりと動かないのです。ひっきりなしにその合間を縫うように乗降客が通り過ぎていくというのに、彼と彼女はけっして微動だにしない。ふたりの距離はほどなく離れているが、そうと察してふたりを見やるときっとこのふたり、いまが今生の別れともいうべき恋人同士と想えなくも無い。僕には、そうとしか想えなかった。何故、そうとしか想えなかったのか。そのあまりに、悲しみに暮れた顔。お互いが異様なほど醸し出している、いわば妖気みたいなもの。それら空気に僕こそ、圧倒されたから。僕は田舎者なので、ついじっとふたりを見比べてしまって、この僕をも佇んでしまった。彼、彼女らはきっとそれでも動かない。次第に彼らをまったく意に返さずその横を素通りしていく一群がその誰しもが、ふたりを一瞥することもなくその傍らを何事も無いかのように通り過ぎていく、そのさまがまるで映画か何かの一シーンを切り取っているかのように感じられて、僕はその後、この情景を随分長い間、忘れられずにいた。
 何だったのだろう。あの一組の若いカップル。どう見ても十代、だった。ふと生活の一狭間、僕はその強烈な空間が想い出され、独り、感慨に耽った。僕にはとてもその場面が、そのふたりにとって喜ばしい瞬間とは感じられず、ひとりごちた。あれから、また時は過ぎた。僕には周りの人々をまったく拒絶しているかのような、そんな一組のカップルの紡ぎだす空気、あれ以上のものをその後見せられた記憶は、無い。僕はその情景に吸い寄せられたのだ。いやいやいや、僕はあの頃、僕自身こそ多感な十代だった。ゆえにそう、としか想えなかっただけだろうか。ふたりには死相さえ、漂っていた。僕にはもう、ふたりを振り切るしかなかった。


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