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2008年09月06日 06:33

掌編稿『東京』

2008年01月14日 09:13

  序

 庭先で鶯が鳴き誇っている。春、です。縁側で僕は、何事かを憂えていた。高台の街路樹の満開の桜並木を潜った先、あのひとのうちはそこに在り、よくあのひとは木漏れ日の差しこむ軒で好きな唄を唄っていたっけな。あの頃が、ふいに僕のまなこに浮かび上がり、まるで幻影でもあるかのような錯覚を起させる。あのひとは、何故にあんなに焦れていたのか?、なのに僕の顔を見るたびにちいさく微笑んでくれましたっけ。

 あの頃、僕はあのひとにつまらぬ愚痴を相当、吐いたな。あのひとはそのたんびにじっと耳を傾けて、けれどこの僕を最後にはいつも認める発言をしてくれた。そんなあのひとも風の便りで、妻と別れ子と別れ、独りに戻ったのだと聞くともなしに聞いた。「僕で良かったら、また呑みましょう。」そうしてきっと、あのギターの調べと濁声を。

 僕もいつの日にか、また再び、そう、謳うだろうか?あのひとがあの頃、あんなに焦れていたもの・・・・・世の中に対する義憤か?容易ならぬ恋沙汰か?さては自身の「いま」に対する辟易感か?、あの頃よりも世情は、更に悪くなっている?、いやいや、僕はただ、謳いたいだけなのさ。

 あのひとと、あの唄を。

  壱

 風鈴がちりりと奏(かな)でぬのちの夕暮れ時、ヒグラシが鳴いている。夏、です。
 僕はお風呂あがりで縁側に向かい、ひとり静かにビールを飲んでいる。寂しいもんです。なのに心は乾いており、ひどくこの風情が心地良く想えるのは、何故だろう?
 と、そこへ幼馴染がやって来る。
 「ほれ・・・」
 縁側越しにつまみなどを包(くる)んだビニール袋を差し出すと、
 「よし、俺も付き合おう」
 傍らにどさりと座る。あぐらを組んで、ビールを俺にも寄こせという顔をする。まるで無遠慮、まるで粋。
 想えば僕の古くからの仲間たちは、こんな奴ばかり。一番、快活そうで、実はもっとも、多分、繊細なのは、この僕だろう・・・?と僕は僕の中で舌を出す。
 
 いいもんです。友、というものは。
 横顔を見ただけで、ちゃんとそのときに都合の良い言葉を選んで、かけてくる。かけられた張本人はかなたを向いたきり、なにげなさげよと煙草を吹かしていたが、その目にはちょいと光ったものがある、らしい。
 ただふたりで、ビールを飲む。
 いまや、ヒグラシだけがふたりの流行歌という按配(あんばい)。

 そんな静寂の気配を大抵、破るのはやはり、あのひとだ。若い頃は大手のプロダクションに在籍していたこともある、いまや市井のギター弾き、Tさん。顎鬚(あごひげ)だけを携(たずさ)えてギター片手に濁声(だみごえ)を張る、ここでは橘(たちばな)さんとしておこう。彼はおかしなひとだ。いまやかつて愛しきひとと、その子を捨て、六年ぶりに再会した僕の古里をひどく気にいって、自身の古里を離れ、この町に住み着いてしまった。「どらどらどら、唄いに来たぞ」アコースティックギターともう傍(かたわ)らには芋焼酎。定番中の定番スタイルで登場です。

 順ちゃんも来た。嫁さんのかすみさんも連れ立って。「何か、作りましょう」優しい微笑と、その名の通りの佇まい。いいもんです。いいもんだ。

 誰も何にも言わなくなる。ただひたすら酒を煽(あお)る。ただ、橘さんの唄い声だけが、僕の心に靡(なび)いてくる。

 誰も僕に「どうして、そんなことに・・・」などと詮索(せんさく)などはしない。なのに、顔色だけを読んで「よし、今日は奴の家で酒盛りだ」なんだ、と連絡を取り合い、連立って歩んでくる。そんなこんなを想い感じながら、殊更(ことさら)に僕はこの胸の底でしみじみ、友とは良いもんだと深く、普段の僕の出不精ぶりを懺悔(ざんげ)してみたくなる。

 夜も更けて来た。かすみさんが、ああっと呟いた。「あれっ、いま、流れ星・・・」
ならば、にやりと顎(あご)を揺らし、橘さんがそら、唄いだした。

 ちょいちょい、と泣けてきた。ぐぐっと胸に沁(し)みてきた。見上げる夜空に今夜だけは、たとえ流れ星が見えぬとも良い、のですよ。

 彼女(あいつ)の欲しかったものはなんだった?僕の欲しかったものは一体、なんだったんだろう!?

  弐

 たなびく雲の切れ切れにススキの穂が影を成す。秋、です。そよ、と吹いた風に揺れる針葉樹、その枝葉の隙間さえ、そうと想えば我が子の在りし日を偲ばせる。あの子はここで眠っている。先年、亡くした実子の墓に参り、手を合わす。まだ幼かった。六歳、だった。病(やまい)に伏せ、息も絶え絶え、ゼーゼーと喉を嗄(か)らしており、見ているこちらの胸中が締め付けられるほどに痛々しかった。一体、生まれる前からそういう運命だったのか。嘆かざるをえぬ、衝動を抑えられぬほど、病弱な女の子。僕は親として男として大人として、何もしてあげられなかった。翻って自身の脆弱さを悔やんだ。そんなことしか、想い、至れない。あれからもう、十四年。月日の移ろいは、たとえば、この手に乗せる落ち葉を容易く拾えるほど、安楽なものじゃあ無い。

 そうとも知れず、潮は吹く。
 ざぶんざぶんとここまで、匂い立つ。

 段を踏む。踏みしだく。線香の匂いが心地よく、僕に香る。独経が聞こえてくる。じっと四隅で正座して、耳を澄ましてみる。安らかに、あの子は眠っているだろうか?いまだに聞こえる。消え去らない。あの子の泣きじゃくる声。僕こそが、あの子を憂えてあげなければこの先も、こののちも僕に生きる証明(あかし)は無い。
 この先、まだまだひとり。僕は僕を返り見ない。

 お堂のお釈迦様が何か、呟きになられたのか?ふと、僕は気持ちを落ち着かせようと、鎮座したままみじろぎもしない。この古里(まち)の三時を知らせる鐘の音(ね)が聞こえてきた。だが、ざぶんざぶんと、僕のこころは掻き乱されて、潮騒に溶け入ってしまい、これじゃあ、元の木阿弥と微苦笑。この日ぐらい、透明な想いのままでいたかったのに・・・。  


  参

 コートの襟(えり)が木枯らしに包(くる)まっている。冬、です。一室に駆け込むなり、灯油が切れていることを知り、フンと唸ったのち、また外気を吸いに白雪の最中に走り込む。
 窓辺に蒸気が上がり、月の下弦を引きずって、やがて、何もかもが見えなくなれば、僕はこの部屋にまたひとりっきりだということをおのずと悟る。カラカラとストーブが音を成し、あらゆる不自然な、それ以外の濁音を遮断してしまえれば、もう僕は自分の世界に浸れる、(筈)。それが、僕のいまの生活というものです。生きれるだけ生きてみようと想い至り、死んでなるものかと容赦なく自身を叱咤してみる。

 ようやく、ここまできた。

 橘さんから電話をもらい、「今年の大晦日はおまえのうちで越す」というものだから、年越しそばを作っておいた。なのに、来る段になって既にどこかで「程好い気分」になったのか、そばなど食わぬ、という。まあ、いい。そういうひとだから。
 芋焼酎がやけに今夜は沁みる。ぐいぐいと飲み干す。また起き掛けにと伸びていた橘さんがひょっこりと座り直し、ギターを傍らに唄いだした。
 雪はしんしん積もっている。寝正月というわけにもいくまい。凧揚げとカルタとビー玉遊び。メンコに雪合戦にヨーヨー。なんでもやった、あの正月はもう、来ない。

 唄えと唄え。東京のあの空を想いだすじゃあないか!?ごろんと高いびきの橘さんを背に、僕はまた一年、歳をとる。

  終

 花萌えて、また四十雀(しじゅうから)が鳴きそよぐ。春、です。僕は軒で食えない「ご本」を編んでいる。こうしていまだ昨年も一昨年(おととし)もこんな感じで時が巡る。
 今日は、風もどこ吹くそぶりで、僕の心根を締め付けない。苦渋に満ちたあの頃は、煩瑣な日常にへどを吐きそうだったあの頃は、予期せぬことがこれでもかこれでもかと起こり、無碍(むげ)無残に打ち砕かれていたあの頃はいまや、遠い遠いお話しの最中。こんな日がときにはあっても、良いですよねえ!? 


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